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ジュリーとリタとあなたと彼女

by 幸坂かゆり

 ここはどこだろう。

『人生が辛くてたまらないんです ごめんなさい  祥子』

 短い文章だけで、祥子は自らの手でこの世を去ってしまった。元々の性格が繊細でいつも何かに傷ついていた人だった。葬式では口々に、仕方がなかったのかも、と勝手な言葉を囁かれていた。そんな様子を浅川と沙織は複雑に見ていた。

「大丈夫? 少し奥で休ませてもらいましょうか」

「……いや、大丈夫だよ。そろそろお暇しよう」

 浅川と呼ばれた男性と沙織という女性は一緒に斎場を後にした。ふたりは婚約していたが時間に差異はありつつも祥子は生前、浅川の恋人だった。祥子は臆病な性格で小さなことでも思い悩んでは家の中に篭るようなひとで、浅川とのつきあいも一方的に祥子から断ち切られた。その後、数年経ってから沙織と出会った。沙織は祥子との以前の関係も知っていて浅川が胸を痛めている祥子の存在ごと浅川を愛してくれた。

 浅川が祥子と別れてしばらく経った頃、沙織が自分にとって大事なひとだと自覚してからもなかなか素直につきあいに踏み切れなかったが、沙織の優しさと大らかさに触れてどちらから告白するでもなく自然と心が触れ合い、先日婚約に踏み切った。

 祥子の死を知ったのはそんな矢先の出来事だった。浅川と祥子が別れてから何年も経っていたし、自殺の原因は浅川ではないと祥子の両親も彼を慰めてくれた。けれど浅川のショックは大きく、沙織も萎れた花のような浅川の姿に心を痛めた。それからの重い時間の中でも変わらずに接してくれた沙織の存在を通し、浅川にも次第に笑顔が戻った。それからふたりの間にはいつも温かい空気が広がっていた。

 ある日の午後、買い物に出ていたふたりが家に戻った。7階建てのマンションの4階。玄関のドアを開ける時、部屋の中から可愛らしい甘えた鳴き声がした。

「リタ、ただいま。お腹すいたでしょ」

 沙織はドアを開けた瞬間、駆けて来た猫を抱き上げた。リタは美しく頭の良いメスのとら猫だった。

「お留守番ありがとうね。お友達とは仲良く出来そう?」

 沙織の視線の先には灰色の仔猫がいた。仔猫は目を丸くして固まっていた。この仔猫こそが生まれ変わった祥子の姿だ。祥子は自分の葬式が行なわれたあの日、天井の位置から見ていた。浅川が来ていたのも知っている。痛々しかった。その時とても後悔した。祥子は自分ひとりの考えで人生を絶望して命を絶ったのだ。その行動が浅川を悲しみに追いやったのを知ったのは正にあの世に行ってからだった。祥子は神様に懇願した。

 お願いです! わたしを生まれ変わらせて下さい。もう一度あの人の側にいさせてください

 それは叶った。しかし灰色の仔猫の姿としてだ。祥子を抱き上げた女性は沙織で、のら猫になっていた祥子を見つけて抱き上げると『おうちに来る?』と言って連れ帰ったのだ。

「大丈夫? お腹すいた? そんなに怖がらなくていいのよ。ここがあなたのおうち」

 沙織が優しく祥子の体を撫でた。だが祥子の目は傍らにいる浅川に釘付けになっていた。ああ、なんてこと。祥子はうろたえた。まさか生まれ変わった姿が猫で、元、恋人の家で飼われることになるなんて。そんな祥子の心の内はもちろん通じるはずもなかったが。

「さて、あなたに名前をつけなくちゃね。何て名前がいいかな」

「オス? メス?」

「えっと……男の子ね」

 祥子は眩暈が起こったような衝撃を受けた。すると眼前にゆっくり浅川の顔が近づいて来たので祥子はますます小さく身をすぼめた。

「男の子かあ、何か色気があるな。そうだ、ジュリーってどう? 中性的でさ」

「え? ジュリーって沢田研二?」

「うん。今は結構太っちゃったけど若い頃すごくセクシーだったんだよ」

「知ってる。テレビで見たことある。あはは、いいかも! かわいい」

 祥子は更にショックを受けた。わたしがジュリー? しかもその由来が沢田研二? ひたすら頭の中が混乱する祥子、改め、ジュリーは不意に抱き上げられた。浅川がじっと愛しげに自分を見つめていた。

「うん、似合う。かわいいな、おまえ」

 ジュリーはますますその身を小さくした。

 しかし悩んでいる暇はなかった。問題はリタだ。沙織がジュリーを連れ帰って来た時、リタは耳を後ろに倒し、恐ろしい形相で威嚇して来たのだ。そのリタが悠然と自分の方に歩いて来た。

『いやー! 来ないでー!』

 ジュリーは部屋の中をとにかく逃げ回った。

「きゃー! 何してるのー! リタ、仲良くしてちょうだい」

 ジュリーは気づくと食事の支度をしていた沙織に飛びついていた。

 こうして最初はケンカを繰り返していたがある日、満月を見て感傷的になったジュリーをリタがじっと見つめ、ゆっくり歩いて来てジュリーの頬ををぺろぺろ舐め始めた。ジュリーは怖くて動けなかったがリタは『ふん』とか言いながらも側で眠ってくれた。リタはふわふわと柔らかく長い被毛を持っていて暖かかった。その日からジュリーにとってリタは姉のような存在になった。外で大きな犬に追いかけられたジュリーを助けてくれたのもリタだった。ジュリーは少しずつ猫としての生活に馴染んでいった。

 ある日、沙織と浅川の会話にジュリーは途端に『祥子』の心を呼び覚ましてしまった。ふたりは結婚式の話をしていたのだ。ジュリーの尋常ではない態度に訝しく思ったリタが問いかけた。

『どうしたの? あんた』

『……ふたりが結婚しちゃう』

『そりゃ結構なことじゃない。大丈夫よ。捨てられるなんてないわよ』

『そうじゃない。ショックなの』

『あんた、サオリちゃんに惚れてたの?』

『違う』

『え、アサカワさん? オス同士でオッケーなタイプなのね』

 そうだった。ジュリーはオスだった。リタの言う通りだ。人間の頃の気持ちを捨て去れない自分は同性愛者としてしか受け取られないのだ。同性に恋することなんか今さらできない。ひどい。神様。残酷過ぎる。恋人だった人が自分以外の人と幸せになっていく様を見せられる暮らしにするなんて。思わず頭を伏せたジュリーは、生まれ変わるのを望まなければいいんだ、と考えた。見渡すとバルコニーの窓がほんの少し開いていた。ジュリーはそこから飛び降りようとした。

 その時、何かがジュリーの前を横切ってジュリーの小さな体は弾みで部屋に押し戻された。

「リタ!」

 沙織の叫び声が耳に響いた。リタはジュリーをかばってバルコニーから落ちてしまった。

 動物病院から戻ったリタはキャリーケースの中にいた。片方の前脚が包帯を巻かれていた。ジュリーは恐る恐るリタに近づいた。リタはジュリーを横目で見て言った。

『あんたの小ささであそこから飛び降りたら死ぬわよ。わたしだったからネンザってやつで済んだんだからね。次は気をつけなさいよ』

『ごめんね……』

『ごめんね、ですって? わたしの方がエライのよ! ばかにしないで!』

「リタ痛いの? 大丈夫よ。絶対に良くなるから」

 人間にしてみればリタの声も威嚇にしか思われない。

『サオリちゃーん、いたーい』

 リタは沙織には存分に甘え、ジュリーはひたすら反省してうなだれた。この日はふたつのショックを抱えていたので出されたごはんも口にできなかった。

「どうした? ジュリー、どこか具合でも悪いのか?」

『……あなたたちのせいなのに』

 浅川はただ、ジュリーの頭を撫でるだけだった。

「ねえ、浅川さん」

「ん?」

「もう少しで祥子さんの三回忌でしょう?」

 ジュリーは体をぴくりと動かした。三回忌? もうそんなに経っていたのか。

「ああ」

「私はどうする?」

「ひとりで行って来るよ。リタを看てて」

「わかった。たくさんお話して来てね」

 浅川は黙って頷き、沙織を抱き寄せた。ジュリーは思わず目を逸らす。祥子の心で悲しかった。沙織が羨ましくて妬ましくて仕方がなかった。たくさんお話して来てね、なんてそんな言葉、何故言えるのよ。苦しそうなリタにはすまない気持ちでいっぱいだったが、どうしてもふたりの結婚を心から祝福できなかった。

 三回忌当日、ジュリーは浅川の持つ鞄にこっそり潜り込んでついて行くことにした。沙織が探したりしないように朝ごはんのあと、テレビの後ろに行ってそのままそこでずっと眠っているのだと思いこませるのにも成功した。しかし祥子の墓に着くと浅川は鞄を車の中に置いて行ってしまった。計算外に車の中に置き去りにされてジュリーは途方に暮れた。仕方がないので浅川の後ろ姿を目で追った。

 浅川の手には真っ白なカラーの花束があった。祥子の大好きだった花だ。ジュリーの心は段々祥子に戻り、胸が痛んだ。車の中からは墓の前でろうそくを立て、両手を合わせる浅川の姿が見えた。浅川のその横顔は祥子を切なくさせた。

 わたし、あの時……あなたに別れを告げた時、自分がいつかさよならを言われるのかも知れなくて怖かったの。あなたがわたしを好きなまま、さよならを言ってわたしたちの仲を永遠に封じ込めたかったの。

 祥子は一粒、ぽろりと涙をこぼした。

 しばらくして浅川が車に向かって歩いてくるのを見て慌ててまた鞄に隠れた。何も知らない浅川が車に戻った後、しばらく車が動く気配がなかった。ジュリーは訝しく思い、目だけちらりと出して様子を窺った。思わず息を飲んだ。浅川は泣いていた。

「祥子、おやすみ。愛してたよ……」

 その呟きを耳にして祥子であるジュリーは思わず鞄から出た。

「ジュリー! 入ってたのか?」

 浅川は目をこすって驚いた顔を向けた。その顔を祥子の心のまま、ジュリーとして精一杯の愛を込めて舐めた。涙の味が塩辛かった。

「優しいな、ジュリー。おれの気持ち分かるの?」

 分かってる。分かってるのよ。だから、ごめんなさい。声に出さずに祥子は浅川の胸の上をよじ登り、浅川はジュリーとして祥子を抱きしめた。その抱擁のやさしさに祥子は色んなことを気づかされた。自分が一番残酷なことをしたのだと。ふと浅川はジュリーに祥子の香りを感じて微笑んだ。それはカラーからの移り香でもあり、祥子が好んでつけた香水にも似ていた。

 その後、浅川と沙織の結婚式の日取りが決まった。

 ジュリーは、ただただふたりの幸せを祈った。時々胸が痛むけどいつも姉のようなリタが側にいてくれる。まだうじうじしてんの? なんて言いながらもそっと横にいてくれる優しいリタが。そのことがジュリーの心をとても柔らかくしてくれた。この先もジュリーの性別は変わらないままだが。ふたりと2匹はこれからも仲良く暮らして行く。

《 Fin 》

2005年1月13日

解説

今でこそ、猫は私にとって大切な存在ですがこの物語を書いた頃、果たして家に猫はいたのか思い出せずにいます。猫のイメージはリタそのものでジュリーは半分人間の心だから書けたのだと思います。私はずーっと猫が好きなんだな、と読むたびに思います。そしてなぜか猫と「何か」の死はいつも結び付けて考えてしまうのです……

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