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Can't Stop Lovin' You

by 幸坂かゆり

ジャームはずっと勉強が好きで、クラスメイトたちから「教科書と結婚しろよ」などと、からかわれるほど真面目で地味な青年だった。そんな彼はある日、近々訪れる妹の誕生日にプレゼントを贈るため、デパートで妹が欲しがっている人形を探して買おうとしていた。

その時、ふと目に入ったのは一体の人形。

あろうことか、ジャームは人形に一目惚れしてしまった。その人形には「マリア」という名前がついていた。栗色の長い髪、茶褐色の肌、ウエストのしまった美しい体。ジャームは妹のプレゼントと共に自分のためにその人形を買った。店員には「プレゼントです」と言い訳をした。

その日からジャームはマリアのことばかり考えて、珍しく思い悩むようになった。毎週行われる教会での礼拝にはマリアを連れて行き「どうかマリアと人間として出会わせてください」と祈った。周りの人間にしてみると人形を持って何やらぶつぶつと祈る男は怪しく映り、皆、怪訝そうに彼を見ていた。

礼拝を終えて教会から出て来たジャームの視界に華やかなものがよぎった。よく見るとそれは驚いたことに「マリア」の等身大の姿だった。きちんと自分の足で歩くその姿にジャームは奇跡を感じずにはいられなかった。ジャームは女性の許に駆け寄り、思い切り彼女を抱きしめようとした。当然、女性は悲鳴をあげた。女性の側にはSPがついていて瞬時にジャームを捕まえ、地面に放り投げた。ジャームは石畳に叩きつけられ、その痛みに思わず呻き声を上げ、顔をしかめた。

「マ、マリア……」

それでも切なげに女性を見て名前を呼ぶジャームに、女性は同情して腕組みをしながら、ジャームを上から眺めた。赤いミニドレスを着た彼女は優しい笑顔で話しかけてきた。

「ねえ、私を知ってる?」

「え?」

ジャームはきょとんとして女性を見た。

「これでも少しは有名なんだけど」と女性は肩をすくめた。

「あなたが持っているその人形、私がモデルなのよ」

女性は大人気の女優でその人気の為、人形も作られた。元々、彼女だったのだ。呆然とするジャームの様子を見て彼女は「ぜひ今度、私の映画を観に来てね」と言って、女性マネージャーと共にその場を去ろうとした。

「あの……!」

彼女が振り返った。

「なに?」

「本当の名前を教えてくれませんか?」

「あなたが呼んでいた名前で合ってるわよ。私はマリア」

「マリア……」

ジャームは口の中で大切な呪文を唱えるように彼女の名前を反芻した。

次の日、クラスメイトたちがわいわいと雑誌を広げていた。ジャームが横から覗きこむとマリアがセクシーな恰好でグラビアに掲載されていた。

「それ、その……マリアって人のページだけくれよ」

「何言ってんだよ、ジャーム! みんなマリアが目的で買ってるんだぜ。自分で買えよ」

クラスメイトにそう言われてしまい、ジャームは学校の帰りに本屋に行って雑誌を探した。セクシーな下着姿の美女が表紙だったので赤面し、冷や汗をかきながらも、何とか無事に購入できた。

家に着くと急いで階段を駆け上がって自分の部屋に入り、しっかりドアの鍵を閉めてから震える手つきで皺をつけないようにページを開いた。そこには眩いほどに魅力的なマリアが映っていた。丁度、彼女の映画が封切られると言う情報も掲載されていたのでジャームは日付を確認して、観に行った。

映画館でジャームは純粋に感動していた。ジャームが愛しているのはマリアであって彼女が演じた役ではない。けれどマリアの演技の素晴らしさに心から拍手を送った。その日買った映画のパンフレットには「次作の相手役を募集」と言う記事が載っていた。ジャームはもちろん今まで勉強一筋で、演技なんてしたことはない。しかし、彼は情熱の赴くままに応募した。

ラッキーと呼ぶべきか、ジャームのルックスは一次審査をパスした。しかし二次審査は演技力を必要とするものだった。オーディション当日、会場で短いシナリオを渡された。周りの公募者が必死に台詞を憶える中、ジャームは一度読むとすべての台詞が頭に入ってしまったので自分の出番までたっぷり時間が余った。朝に出掛け、昼食を挟んで夕方になった。ジャームは暇になり、会場の階段を上がると、窓から美しい夕陽が入り込んでいたので窓を開けて深呼吸した。その時、恰幅のいい男が近寄ってきた。

「おい、君。そこは関係者以外立ち入り禁止だぞ」

「すいません。でも夕陽がきれいですよ、ほら」

「いいからこっちに来たまえ!」

結局、ジャームはその男につまみ出された。しかし、その窓の横の部屋はマリアの楽屋だった。その中でジャームと男のやりとりを聞いていたマリアは吹き出した。

演技審査は散々だった。

「泥棒に物を盗られた時の反応」という課題でも「あっ」と言っただけで、まるっきりのでくの棒だった。審査員はジャームの態度に呆れ「君は本当に大切な物を盗られてもそんな反応なのか?」と言われる始末だった。しかし、大切なもの、という言葉で即座にマリアを思い出したジャームは、もし彼女と歩いていて彼女を連れて行かれたら、と想像した。

結果。

審査員がペンを落とすほど大迫力の演技を見せた。ジャームにとっては演技ではないのだが……。審査の段階になるとスタッフは口々に「あの男、精神に異常はないのか?」と首を傾げた。しかしその迫真の演技でジャームは経験もなしのまま奇跡的に役を勝ち取った。

こうしてジャームは堂々と撮影所でマリアを見ることができた。もちろんあからさまに見つめては失礼なのであくまでも偶然を装うように。演技に関してはジャームが素人ということ、相手役がキャリアの長いマリアということで上手くなくてもミスのない演技をとにかく心がけるよう指導を受けた。もちろんジャーム自身もプロである彼女に迷惑をかけたくなかった。元々、勉強好きのジャームはセリフをきっちり頭の中に入れ、一切NGを出さなかったのでその部分はスタッフも感心した。

しかし、肝心の主役であるマリアが役を掴みきれていなかった。それでも笑顔でスタッフを気遣い、誰にも自分の不調を気づかせないようにしていた。そんなマリアの様子にジャームは気づいていた。いたたまれなくなったジャームは皆が彼女にコーヒーを渡す中、ひとり、近くの店に行き、テイクアウトでスープを買ってきてそれを渡した。マリアは怪訝そうな顔をしたが「今はカフェインよりもスープの方が落ち着くよ」と言うジャームの言葉を受け、思わず顔を見た。ジャームはいつもマリアが見ているとおり、変わらない優しい笑顔をマリアに向けていた。

「ありがとう」

スープを受け取ったマリアはかろうじて動揺を表に出さなかったが、自分の内面を見抜かれていたことに驚いた。そして撮影が進むに連れて、調子が悪くなるとどこからともなくスープを渡してくれるジャームと打ち解けて話をするようになった。ジャームはロケ地の自然の美しさや、自分の家族のこと、クラスメイトのこと、勉強をするのが好きなこと、こうして色んなことを教えてくれる今の環境に感謝をしていることをマリアに話した。そんなふうに自分の気持ちをまっすぐ話すジャームにマリアは心が揺らぎ始めていた。ジャームとは年もそれほど変わらないがマリアはプロの女優としてキャリアが長かったため、どんな時でもどこから見られてもいいように「女優のマリア」を演じていた。けれどジャームが撮影に加わったことでマリアだけが抱えるギスギスしていた部分が少しずつほぐれていった。しかしマリアは怖かった。ジャームの一途さが。マリアはそれなりに恋愛を重ねていたが、彼女がセクシーな女優だからと言う理由で寄ってくる男も少なくない。

ジャームとは今が一番良い時期で、今の純粋な想いを壊してしまうのではないかと思うと怖くて彼女を臆病にさせた。そんな繊細な気持ちとは裏腹に撮影は順調に進み、ジャームの出番も少なくなった。

そんなある日の夜、マリアは思い切って自分のホテルの部屋にジャームを呼んだ。

「初めて会った時、傲慢な態度をとってしまってごめんなさいね」

マリアはジャームの優しさを知った今、自分のせいで地面に叩きつけられたジャームの姿を想い、今も心を痛めていたのだ。

「気にしないで。当然だよ、僕こそごめんなさい。知らない男が急に抱きついて来ようとしたら怖いに決まってるよ」

ジャームは相変わらず、まっすぐな瞳でマリアを見た。

「あなたはなぜそんなにきれいな目をしてるの?」

「初めて言われたよ」

「私にはあなたのように純粋な心が持てないわ」

「マリアの方が純粋じゃないか、僕はいつも思ってたよ」

「どんな所が?」

「そんなふうに、怖がっているから。いつも」

マリアは思わず下を向いた。

「君はいつも本当の自分を隠してる。でも、もちろんたくさんの人間の目に触れる仕事をしているから防御するのは大切な手段だと思ってる。君は自分をよく知っていて、ピアノの調律をするように自分を律して、とても素敵だと思う。初めて会った時よりも魅かれてるよ。それに君はとても優しい。

それは多分君がこの特殊とも言える仕事をしていて、たくさん傷ついてきたと同時に一緒に仕事をするスタッフたちに感謝をして、彼らからも心から愛されているからだと思うんだ。そんな人間は絶対に卑屈にも傲慢にもなる必要はない。だって、心から人を愛せるんだから。君の演技にはそんな君の特徴がどのシーンにも表れていた。優しくて、それでも強くあろうとして……」

「あなたは私に恋をしてるの?」

「もちろん」

そう断言してしまってからジャームは照れた。

「でも、君とこうして話をしなければただの利己的な憧れで終わったかも知れない。撮影で一緒にいられるっていうだけで有頂天になって、自分の都合で君に勝手なことばかり要求するような大バカ野郎になっていたかも」

「ねえ、ジャーム。あなた、本当は何を目指しているの? 俳優じゃないことくらいは分かるわよ」

今度はジャームが下を向く番だった。

「えっと、僕は美大生で絵を描いてるんだ。実は君の姿もたくさん描かせてもらってる」

「見たいわ」

「今?」

「ええ」

「じゃあ……」

ジャームはいつも持っている自分のリュックからスケッチブックを取り出し、そっとマリアに手渡した。ページを捲ると、それはほとんどマリアの画集と言っても過言ではなかった。栗色の髪に陽射しが当たり、優しい色調でマリアはほとんど俯いて微笑んでいる。女優としての彼女の姿ではなかった。その絵を見ているうちにマリアは涙が溢れてきた。

「なんて優しい絵なの……。私をこんなに素敵に描いてくれてありがとう」

ジャームは首を横に振る。

「僕はいつも君の気持ちに気づいていたい。嬉しい時は一緒に喜んで、悲しい時は君の涙を拭きたい」

ふたりが見つめあったその時、部屋のドアがノックされた。マネージャーだとすぐに勘付いたマリアは急いで左耳から小さなダイヤモンドのイヤリングを外して、ジャームの手に握らせた。

「考えさせて。私の答が決まったらそのイヤリングを返してもらうから」

そう言ってマリアはマネージャーと入れ違いにジャームを帰した。マネージャーはマリアに警告した。軽はずみに男を部屋に入れちゃいけないと。部屋を出たばかりのジャームにはその言葉が聞こえていた。

次の日、マネージャーからマリアに近寄らせてもらえないまま、撮影が進められた。

けれどジャームは端っこでマリアの姿を追い、目が合ったらにこりと微笑んだ。マリアも微笑み返した。ほんの少しの秘密の時間だった。ただしその日はラブシーンの撮影のため、マリアと共演の男優、カメラマンのみが一室に集まり、部外者であるジャームは扉の外で待たされた。シナリオ通りに進めるので心配することはないのだが、ちらりと見えた男優の顔つきが嫌な感じに思えてジャームは気になった。

しばらく順調に進んでいるであろう現場で、マリアの悲鳴がスタジオに響いた。ジャームはすぐさま立ち上がり、扉をどんどんと叩いた。スタッフはもちろんすぐに対応した。マリアの悲鳴の理由、それはその男優が契約にはない動きをしたせいだ。スタジオの中からマネージャーが扉を開けた。そこでジャームが見たのは、服を破られ、俯いて、頼りなげな姿のマリアだった。男優はバツが悪そうに煙草を吸っていた。ジャームは男優の側に早足で近づき、殴りかかった。マリアが慌てて止めに入った。

「ジャーム! やめて! 私なら大丈夫よ!」

「このガキ……! 俳優の顔を殴りやがって」

男優はジャームを殴り返し、ジャームは吹っ飛んだ。撮影所は一気に混乱した。しかしマネージャーはジャームの行動力を見て感じる物があった為、何とかその場を収めてからジャームとマリアを別室に連れて行った。

ふと気づくと、マリアはいつの間にか自分のものではない上着を着ていた。大きなサイズの麻の白いジャケット。先ほどの混乱の中、ジャームがマリアに着せてくれたのだ。衣裳の薄いドレスはめちゃくちゃに破れて、どこを隠しても乳房が露わになっていたからだ。マリアはボタンをかけてしっかり胸元を隠した。そこにマネージャーが入ってきた。

「あの男優はクビにしたわ。マリア、安心して。次からは絶対に気をつけるから。本当にごめんなさい」

マリアはほっとして大きく深呼吸をした。

「それからジャーム、あなた無謀よ」

「すいません……」

「押さえ切れない気持ちは判るけれどね」

マネージャーはそう言って微笑んだ。

「マリア、あなたの前で言うことを許してちょうだい。ジャーム、愛する女があんな目に遭えば誰だって逆上するわよね。でもそうやって逆上してでも守ってくれる存在が今までマリアには現れなかったのよ。いつもマリアの体ばかりが目当ての男ばかりだった……。そんなことばかり繰り返されたら人間を信用できなくなっても当然だと思わない?」

ジャームは言葉を失った。

「そんな……そんなに何度も酷い目に……?」

信じられない、と言うふうに首を横に振りながらジャームはマリアを見た。下を向き、小刻みに唇を震わせるマリアはたった今、女優なんかじゃなかった。ただの怖い思いをした女の子だ。

「僕はマリアを愛しています。心から。絶対にマリアを守りたいんです」

マリアは臆病そうな目でジャームを見た。

「本気なの?」

「本気だよ」

「……いつも私にスープを食べさせてくれる?」

心が落ち着いたあの一杯のスープ。マリアはあの日からジャームのことを意識するようになっていた。ジャームは深くゆっくり頷く。

「もちろんだよ。哀しい想いで君を泣かせたくない。いつも気づいていたい。どんなに小さな気持ちの変化にも」

「昨日も言ってくれたわね」

「いつでもそう思ってるから」

マリアは意を決して言った。

「ジャーム、イヤリングをつけて」

マリアは自ら髪をかきあげてジャームに左耳を寄せた。マネージャーはため息を一つ残して、ふたりだけにした。

ジャームはそっとマリアの耳朶に触れ、丁寧に彼女から預かっていたダイヤのイヤリングをつけた。その間、マリアはずっと目を閉じていた。キスを待つ小さな女の子のように。イヤリングは形の良いマリアの耳朶に収まった。

「すごく似合うよ」

そのジャームの言葉でマリアは目を開いた。

「やっとふたつ揃ったね」

ジャームが無邪気に言う。その言葉がまるで自分たちのことを表しているように感じられた。

「これからも一緒にいてくれる?」

「一緒にいるよ」

「離れていても……?」

「離れていても、いつも抱きしめるよ」

マリアはジャームの首筋に抱きついた。ああ、愛しいマリア。神よ、出会わせてくれてありがとう。僕は一生をかけてもマリアを大切に守り続けます。ジャームが願っていた奇跡は、もう既に手に入れていたのかも知れない。ただ、奇跡は起こる物ではなく起こすものだ。そしてそれは決して突飛なものではないのだ。いつも愛を感じる優しい想いがマリアの心を動かした。ただ祈るばかりじゃ何も変わらない。

マネージャーは扉の外で二人のやり取りを聞いていた。煙草に火をつけ、大きく煙を吸い込み、吐き出すと明日から騒がれるであろうふたりに少しだけ同情した。大人気の女優と無名の青年が恋に落ちたのだから。パパラッチには、おいしすぎるほどのスクープだ。あらぬ噂も書き立てられることもあるだろう。しかしマネージャーの唇から漏れるのは微笑みだけだった。マネージャーは心からマリアの幸せを願っていたから。

部屋ではマリアとジャームが熱く、恋人同士としてのキスを交わしていた。

 あなたの姿が目に見えなくてもいいのです。

 あなたがこの世にいるという、ただそれだけで私は幸せなのです

                              / リルケ

《 Fin 》

2004年11月30日 Photo - 「Volavérunt」 1999 Film

解説

こちらも大澤誉志幸さんの楽曲タイトルから想起した物語です。と、言いつつ曲そのものを聴くとまったく違います。大澤さんの曲のタイトルでお話を作っていくと言うスタイルをしていた時、とある物書きさんに「大澤さんの曲から離れよう離れよう、としている印象を受ける」と言われのをよく憶えています。確かに曲に添うような作り方をしていなかったな、と当時から大好きな人の曲を考えて創作していると言うのに、自分の独断の強さが目立っていたことに気づき、苦笑しました。けれど言われなければ気づけなかった言葉です。私はどんなテーマがあっても私が書きたいと思うものしか書けない、と初めて気づいた瞬間でもあり、宝物の言葉です。ちなみにテーマにした大澤さんの楽曲はこのアルバム一曲目です。全然想像と違います(笑)

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