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僕らはまだここにいる

by 幸坂かゆり

8月の初め、私たちは近くの本屋で待ち合わせていた。

私の方が先に着いて立ち読みをしていると、待ち合わせた時間から、2、3分遅れて「彼」がやって来るのが店内から見えた。

「広ちゃーん!」

私は、静かな店内で彼を見つけた嬉しさから、つい大きな声を出してしまった。

「広ちゃん」こと浅野広之は私のいとこだった。3歳年上で私は小さな頃から彼を慕っていた。

「美弥、あんまりでっかい声で呼ぶなよ。恥ずかしいだろ」

確かに。周りの人間はぷっと吹き出していた。私たちは一緒に本屋さんを出た。8月の夕方は陽が長い。午後6時を回っても外は充分に明るくて空気は暖かいけれど爽やかだ。私は広ちゃんの袖を掴んで歩いていた。

「広ちゃん、北海道に来るの、久し振りでしょ」

「うん、寒いくらいだな」

「東京が暑すぎるのよ」

「そうかもな」

「もう少しで七夕のお祭りがあるけど、その時までこっちに居られるんでしょ?」

「七夕? ああそうか、北海道の七夕は8月だもんな」

「うん、そう、変な感じよね。織姫と彦星は1年に一度って習うのに2回も会えるじゃないって子供の頃は思ってた」

「日本の気候のせいなんだろうな」

「人間って勝手だよねえ。私は2回とも楽しんじゃうけど」

そんなふうに他愛のないお喋りをしながら、私の家に向かっていた。

「ただいまー! 広ちゃん連れて来たよー」

私は玄関の引き戸を開けるなり、家の中に叫んだ。部屋のから母親がスリッパでぱたぱたと出て来た。

「まあまあ広ちゃんたら、立派になっちゃって、さ、さ、どうぞ!」

「お邪魔します」

広ちゃんは靴を脱いで部屋に上がった。父親も嬉しそうな顔で広ちゃんを迎えた。

「広之、久し振りだなあ! 元気にしてたか?」

「はい、なんとか。おじさんも変わりないですか?」

「変わりない、相変わらずだ」

こんな平凡な挨拶だけでもできるから田舎って良い。広ちゃんは東京でエッセイなどを書く仕事をしているのだが、たまたま夏にまとまったお休みが取れたのでこうして北海道にやって来たのだ。他の親戚はみんな東京近辺に集まっていて、北海道に住んでいるのはうちくらいだ。忙しすぎて自律神経が少し参っている、と医者に言われたと言う広ちゃんの電話で、私はすかさず、家に来る事を提案した。

「うちは古いけど安心して一人でいられるよ。部屋も多いし、広ちゃん一人くらい泊められるよ」

それを父親に言うと即座に決まった。父もたまには男と酒を交えて話したい、と思っていたらしい。広ちゃんはその役にうってつけだった。誰と話しても優しくて気兼ねしないで済むような、さりげない雰囲気を持っていたからだ。北海道は冷房をかけなくてもいい気持ちの良い暑さで、開けた窓からさわさわと風が入り、風鈴を揺らした。

お風呂と夕食を終えて、あんなにはしゃいでいた父が早くも眠たがった。意地でも起きていようとする父を止めて「今日で帰っちゃう訳じゃないんだから」と私と母親は父をなだめた。案の定、布団に入るとすぐにいびきをかき始めた。

「いつもああなのよ、ごめんなさいね。みっともない所を見せちゃって」

「とんでもないです。安心しますよ、おじさんらしくて」

広ちゃんがグラスの中のビールを飲み干したので、私は自分の分と広ちゃんの分のビールを持って来た。広ちゃんは大きく開けた犬走りの引き戸に体をもたれかけ、膝を抱いて月を見ていた。

「風が気持ちいいな」

目を細めてリラックスした声を出した。広ちゃんはお酒のせいで頬や耳がほんのり赤かった。元が色白だったのでそういう部分が目立った。そこは、いとこの私も受け継いだらしい。二人で桃色になりながらビールを飲んだ。私の部屋は2階にあって、姉が嫁いで行って空いた部屋が向かいにあった。姉がいなくなってもその部屋は無人を思わせないほどきれいに掃除してあった。広ちゃんはその部屋を使うことになっており、母がいつもより丁寧に磨き上げていた。私たちが飲んでいる間にもう布団が敷いてあった。旅の疲れもあって広ちゃんも12時を回ると眠気が差して来たらしい。

私たちは「そろそろ寝ようか」と言い合って、それぞれの部屋に行こうと階段を上って行った。

「あ、美弥」

「なあに?」

「明日、空いてる?」

「空いてるよ。広ちゃんの為に空けてある」

「ありがたいな。じゃ明日ちょっと付きあって。買い物とか」

「わかった」

「じゃ、おやすみ」

「おやすみなさい」

美弥はほんの少し物足りなさを感じたが、振り切って部屋のドアを閉じた。向かいの部屋は距離が近いな、と思うと余計に酔いが回って来たようだった。3つ違いか。私はこの夏、25歳になったばかりだ。そんなことを考えながら眠りについた。

美弥は6時頃、目が覚めた。そっと起きて広ちゃんの部屋を鍵穴から覗くとかわいい顔をして、くうくう寝ていた。微笑みながら下に行き、朝食の支度をした。父と母はいなかった。夏は毎年二人揃って早朝からパークゴルフに出掛けているのだ。すると階段を下りてくる足音が聞こえた。居間のドアが開いて、広ちゃんが台所にいる私の方まで歩いて来た。

「おはよう」

「おはよう、早いね」

「朝型なのよ」

「へえ、そうだったか?」

本当は違う、と美弥は思っていた。やはり広ちゃんの存在が少しだけ今の美弥を変えてしまっているんだと思う。

「いい匂い。腹減った」

寝癖の残る髪で言う広ちゃんはとても年上に思えないほど可愛かった。

「何時頃家を出る?」

私は、お玉で味噌汁をかき回しながら訊ねた。

「飯食ったらすぐ出られるよ」

広ちゃんが顔を洗って、歯を磨いている間に朝食を作り終えた。

今日の献立は大した物ではないが私は料理が好きだった。作ることが苦に感じないのは得だと自分で思う。

「あれ、おじさんとおばさんは?」

「パークゴルフに行ってるの。朝から行って昼を食べに帰ってきたと思ったらまた午後から行くのよ。夕方まで。好きでしょ?」

「へえ。二人でパークゴルフか。相変わらず仲がいいなあ」

話しながら、かちゃかちゃと食器が鳴る。何だか二人きりでいるとこうしているとただの朝ごはんが特別なことに思えて困ってしまう。

「広ちゃん、彼女いるの?」

「今はいない」

「ふーん」

「美弥はいるの? 彼氏」

「今はいない」

「ふーん」

私たちは吹き出した。変なやりとり。大事な話をしているようで、やっぱり何でもない言い方になってしまう。少しもどかしいが、そんな感じが好きだった。こんなふうにゆっくり話せる人はそういない。私と広ちゃんは気が合うのだ。小さい頃、恋心を抱いていたこともあったなあ、そう考えてふと箸が止まった。確か短冊に「ひろちゃんとけっこんできますように」と書いて、すぐに隠したっけ。そんな美弥の考えなど知らず、広ちゃんは無心に口を開けて、おいしそうに焼き魚をばりばり食べていた。

私たちは家を出て、1時間に1本しか走らないバスの1番後ろの席に座り、がたごと揺られた。

「なに買うの?」

「ぶらぶらしたいなあと思ってさ」

「そっか、天気もいいしね」

取り立てて用事がなかったと知ると美弥は少し胸が高鳴った。誰でもなく自分を連れ出してくれたことが嬉しかった。

「祭っていつ?」

広ちゃんは唐突に質問を投げかけて来た。

「6、7、8の3日間だよ」

「明日からじゃん。楽しみだな」

「楽しみ! 可愛い浴衣着るんだ!」

「自分で着るの?」

「もちろん」

「すごいな」

「すんごく似合うんだよー」

「はいはい。楽しみにしてるから」

広ちゃんはからかうように言うけれど、それは照れたからだ。美弥の頭の中に祭りの情景が浮かんだ。涼しい川からの風、屋台の煙、焼き鳥の匂い、ヨーヨーを下げて毎年見に行く花火。もちろん人がたくさん集まるが活気があるのに静寂がある。この町独特の雰囲気かも知れない。そこに今年は広ちゃんがいるのだ。そう思うと恋人と行くような錯覚をしてしまいそうになり勝手に顔が赤くなる。そんな会話をしている内に、バスが街に到着した。

街の中で広ちゃんはとても目立った。派手な訳ではない。整った顔立ちや、静かな雰囲気が道行く人の目を惹き付けてしまうのだ。私は広ちゃんの袖をぎゅっと掴んだ。その後、私がよく行く店にすべて立ち寄った。

「広ちゃん、行って見たい所ある?」

「美弥が行きたい所に興味がある。もっと教えてくれよ。美弥のこと」

また顔が赤くなりそうだった。しかしあくまでも離れていたいとこが成長したから珍しいのだろう、とおもうことにした。その時、広ちゃんは店の外に出してあるマネキンに目が行ったようだ。服ではなく首から下がっている小さな鍵のネックレスに。彼の視線の先を目で追った私は「欲しいの?」と訊ねた。

「そうだな。何か惹かれるもんがある」

「見てみようか」

店に入って店員さんに聞いてみるとその鍵のネックレスはゴールドとシルバーの2種類あってマネキンにかけてある以外はもう品切れだと言う。すると広ちゃんは2つとも買ってしまった。

「2本もどうするの」

「1本美弥にあげる。どっちの色でもいいよ」

「じゃあ、銀の方」

「えー」

「どっちでもいいって言ったでしょ」

「じゃ、こっちな」

と、広ちゃんは金の方を渡した。

「もう」

なんて言いながら、本当はペアのようで嬉しくて色なんてどちらでも良かった。

家に戻ると、庭で父が七輪に炭を入れて火を熾している最中だった。今晩は焼肉だ。広ちゃんはとても嬉しそうに手伝った。丁度いい具合に日も暮れて来て食欲を誘う肉の匂いの煙が、もくもくと星空に吸い込まれて行く。私と母はグラスとビールを持って行った。

「かんぱーい!」

父の音頭でグラスを合わせた。

「あちちち!」とか言いながらわいわい沢山食べた。父を見ると本当に嬉しそうでこちらまで笑顔が移ってしまいそうなほどだった。こっそり母に「お父さん、すごくはしゃいでいるね」と言うと母も「本当ね」と言って母も嬉しそうに微笑んだ。

午後11時を回る頃、やっぱり私と広ちゃんだけが居間に残った。

広ちゃんはどこか遠くを見ているような瞳をしていた。

「新しいビール、持ってくる?」

「ああ、ありがとう、美弥もつきあってくれよな」

「もちろん」

「美弥、明日ちょっとつきあってくれないか?」

「どこに?」

「役所」

「役所?」

あまりにも意外だ。どうしてそんなところに。でも、明日になればわかるだろう、今はこの空間と風を楽しむことにした。

役所への用事、それはあまりにも驚く内容だった。

私たちは兄妹だった。広ちゃんは、父のお兄さんの子だと認識していた。もちろん今までずっと。しかし実の所は養子で父の子だったのだ。広ちゃんは「どうしても確かめたかった」と私に言った。思い返してみると父の、あの、あまりにも嬉しそうな素振り。戸籍を調べる機会がなかったとは言え、現実って凄いと思う。どうせなら逆だったら良かったのに。血が繋がってないってやつ。でも違った。役所を出て二人で近くの噴水の縁に腰掛けていた。黙ったままの広ちゃんに私はそっと問いかけた。

「いつから疑ってたの?」

「疑うも何も聴いちゃったんだ。俺が自律神経参ってるって、美弥の家に電話しただろ? 静養に行くって。その夜中にさ。なんか親父とお袋がぼそぼそ居間で喋ってるんだよ、何事かと思ってさ、入って行こうとしたらやっぱり本当の親が恋しいのかしらね、って。こっちはそんなこと知る訳ないのにさ」

「どうして広ちゃんが養子になったの?」

「うちって子供出来なかったらしいんだ、美弥のうちは当時、俺も含めて3人いたから1人欲しいって言ったみたいだな」

「どうして私を選んだの?」

「え?」

「戸籍を調べに行く相手を」

広ちゃんは下唇を噛んで、慎重に言葉を選んでいた。

「美弥じゃなくちゃだめだった。俺さ、小さい頃から美弥が好きだったんだ。でもいとこだったし今の美弥を見てそう言う目で見なくなってるかも知れないと思って、今回ここに来てみたけど、やっぱり変わらない。美弥が好きだ」

これは恋の告白だ、と思った。兄としてなんかじゃない。だからこそ本当のことを話して、私が傷つくかも知れないなんてことは頭になかったんだ。広ちゃんは、ぎりぎりだったんだ。そんな広ちゃんを恨んだりなんてできない。

「同じこと考えていたのね。私たち」

広ちゃんは私を振り返って見た。私も目をそらさずに見た。よく似ている。二重なのにすっきりした目許、輪郭、肌の色、雰囲気まで。ショックなことは確かだったが何故だか甘い衝撃を受けた気がした。そう、嬉しかった。家族でありながら離れて暮らしていて、でも仲が悪い訳じゃなくて、訪ねて来たら心から喜んでくれる「もうひとつの家族」がいるのだ。

「秘密にしよう、二人だけの」

そう言って私は素早く広ちゃんにキスをした。当然、驚いて私を見たが私はそれを無視して続けた。

「秘密の契約完了!」

「本気でヤバいだろ」

「いいの!」

広ちゃんは優しく笑った。

家に戻ると父と母は相変わらずいなかった。

でも今日は縁日があるので、軽くシャワーを浴びてから浴衣に着替えた。薄いピンク色で模様も何も入っていないが、帯の淡い花模様が浴衣によく似合っていた。私が髪をアップにして部屋から出て来ると広ちゃんは目を丸くした。

「美弥、似合ってる。すごくきれいだ」

「抱きしめたくなるでしょ?」

袖をひらひらさせて冗談めかして言ったつもりだったが、広ちゃんは本当に私を抱き寄せた。

「帯が! 帯がつぶれちゃうよー!」

「大丈夫だよ、その辺はわきまえてこうしてるんだから」

シャワーを浴びたばかりの石鹸の香りが私達の体温の間に漂う。8月の暑さが心地良かった。

縁日には二人で出掛けた。小さな町の縁日は派手なものはない。ただお祭りという雰囲気で心が躍った。

「何か欲しい物あるか?」

「ビールと鳥串! 食べながら見ようよ」

隣町で名物の踊りなどを見て、射的やピンボールをして遊んだ。すっかり暗くなった町を私たちは歩いた。途中で踏み切りがかんかんと鳴って、私たちの行き先を塞いだ。その風を受けて私たちは手を強く握る。

夜、私たちは一つの部屋で一緒に眠った。もちろん父も母も知らない。私たちは何もしなかったけれど、長い間離れていた「同士」にやっと巡り合えたようで、泣きたいような気持ちに駆られた。

「明後日、花火大会だな」

「うん」

「明日は家にいるよ」

「そう」

「美弥は?」

「広ちゃんに合わせて空けてあるってば」

「そうだったな」

私たちは、あらためて手を繋ぎ直した。

早朝、がらがらぴしゃん、と引き戸が閉まる音が聞こえて目が覚めた。どうやら父と母が恒例のパークゴルフに出かけたらしい。手を見ると私たちは昨夜から握ったままの状態だった。そっと解こうと動くと、広ちゃんが目を覚ました。

「……どこ行くの?」

起き抜けの無防備な顔で、広ちゃんが訊ねた。

「朝ごはん、作ろうと思って」

「今、何時?」

「5時半」

「まだ早いよ」

「そうね」

広ちゃんがそんな風に言うから私はまた横になってしまう。

遅い朝食は昼になってしまった。久し振りに洋食を作った。食べている最中に父と母が帰って来た。余分に作ってある料理を出してそのまま4人で昼食を食べた。

「広之はいつまでこっちにいられるんだ?」

突然、父が聞いた。一瞬、私はスープを落としそうになった。広ちゃんが沈黙したので張り詰めた空気になった。

「明後日には戻ります」

広ちゃんは、はっきり言った。

「そうか。寂しくなるな」

昼食を食べ終えるとまた二人共パークゴルフに戻って行った。

「明後日なんて随分、急ね」

精一杯強がって出した言葉だが広ちゃんは「うん」と言ったきりだった。

私たちはまた2階に戻った。

「ねえ、広ちゃん」

「ん?」

「血が繋がっているからって恋に落ちないなんておかしいと思わない? 私、血が繋がっているからこそ恋に落ちることだってあると思うんだ」

「うん。そうかもな。でも公にはやっぱり出来ない」

「やっぱり秘密かな」

「契約、完了したんだろ?」

広ちゃんはそう言うと私の顔を両手で包んだ。私は広ちゃんの肩に腕を回した。肩幅はこんなにも違うじゃない、そう思いながら。私も広ちゃんも夕方まで下に降りて行かなかった。

今日は待ちに待った花火大会だ。

午後6時半、花火大会を知らせる音が鳴った。今日の浴衣は青地に白くて大きな花模様が付いている。帯は白地にピンクの花を咲かせたもので古風な感じが美しかった。広ちゃんは相変わらず白いシャツを着ていたが。

「美弥、くらくらする。何でそんなに浴衣が似合うの?」

「私に訊かれたって困るわ」

「抱きしめたくなって大変だよ」

なんて言っている先から、私は広ちゃんに後ろから抱きしめられていた。私は心地良くてこのままでいたい気持ちを、ぐっと目を閉じて抑えた。

「こら、お父さんとお母さんが戻るわよ」

「おっと、そうだな」

広ちゃんも名残惜しいのか、指を1本づつほどいた。

「多分、お父さんたち途中で帰ると思うんだ。毎年そうだから。私たちは少し歩こう」

「うん」

そして4人で花火大会が行なわれる河川敷へ行った。みんなで屋台のフランクフルトを齧りながら花火を待った。父はもうビールを飲んで半分出来上がっていた。でも今日は広ちゃんもいつもより父の側にいて、いつもよりビールの量が多かった。ちら、と横を見ると母も懐かしそうな、何とも言えない顔をして二人を見ている。そんな顔したらバレるじゃない、と「知っている」から私は考えた。

午後7時になり、花火大会が始まった。今夜は晴れているのでよく見えそうだ。大きな花火が上がった。

おおー、と言う歓声、はしゃぐ子どもたち。すると突然、広ちゃんが私の手を握った。驚いて顔を見たが広ちゃんは全く意に介していないようだった。母もちらりと見たが仲の良いいとこだと思っているのか花火に目を戻した。いとこ、か。何て便利な肩書きなんだろう。そう思って、打ち上げられる花火に目をやった。

「仕掛け花火、見てみたくない?」

私は広ちゃんに言った。

「ああ、じゃ、お前らで行って来い。俺はもう帰って寝る」

父の言葉に笑った。母は父と一緒に家に戻るようで私たちに「気をつけてねー」と言った。そして私と広ちゃんだけそこに残った。色んな形の花火を広ちゃんがじっと見ている。可愛くて小さい仕掛け花火は、ばらばらばらと音を立てて細かく細かく続いて行く。午後8時半を過ぎると人の姿がどんどん消えて行った。私たちは紙コップのコーヒーを買って人がまばらになった堤防に腰掛けた。広ちゃんはポケットから何か出した。それは銀の十字架。

「美弥の金のと交換しよう、付けて来てるのは知ってるから」

そう、浴衣の中に私はあの十字架を付けて来ていた。

「だって……広ちゃんの気に入ったやつでしょう?」

「だからだよ」

指環の交換を代表とする式は一生できないから。だから互いの大好きなものを交換しよう、と広ちゃんは言う。私はきっと言いたいことが沢山あったと思う。でも何ひとつ言葉には出来なかった。

広ちゃんは銀の十字架を私の首にかけた。私は広ちゃんに金の十字架をかけた。儀式のようだった。たった今、私は彼を愛している。彼もそうだろうと思う。でも先のことはわからない。

縁日で歩いた日、広ちゃんは言った。何か欲しいものはあるかと。欲しいものなんてなかった。消えてなくなるものしか欲しいとは思わなかった。だって、広ちゃんがいるから。広ちゃんこそが、私の欲しいものだったから。コーヒーで酔ったかのように二人で泣き笑いになりながら最後の花火を見た。花火で照らされた広ちゃんの横顔はとても綺麗で、花火のようにきらきら光って、儚く見えた。

《 Fin 》

2004年4月20日

解説

まだ漫画を書いていた頃の名残りが見えます。この時は山田詠美さんを読み漁っていた頃だったので、ほんのり文章が似てしまう部分が見て取れます。そしてこの掌編も大澤誉志幸さんの同名曲から想起しました。お話自体は……書き始めで無邪気に書いていました。何もわからない時って無駄に大げさに書きたくなってしまうものなんだろうな、と今なら思います。大澤さんの曲は小説と全く違って、叙情的でとても素敵なバラードです。仮にこの掌編を大澤さん本人に知られたら私は死ぬと思います(絶対知られない)

こちらの曲はぜひ聴いてみてください。本当に名曲なので!

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