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Yellow Moon

by 幸坂かゆり

 私たちの出会いは名前からだった。

 眼科を受診したある日、二人並んで名前を呼ばれた時だ。彼の名前は現と書いてイマと読み、私の名前は未来と書いてミライと読んだ。今と未来なんて面白いね、と、互いに腫れていたり、眼帯をかけた顔で笑った。そこから一緒に歩いてきた。去年までは。イマはミライに何も告げずにどこかに行ってしまった。煙草、買ってくる。そう言ったはずだ。それから戻ってこない。ミライは人づてに聞いたりしていたが、イマには極端に知り合いが少なく、いくつかの情報を得てから、ミライはイマがいるかも知れない場所、海外へと今夜旅立った。あの日、出会った眼科で瞼が腫れていたイマ。誰かに殴られたのは容易に想像できた。もしかしたらミライはとんでもなく危ないことに足を突っ込もうとしているのかも知れない。けれどなぜか探さずにはいられないのだ。しかしアジア圏の小さな町でイマは呆っけなく見つかった。

 空港に着くと、乗れ乗れ、とうるさいタクシーではなくオンボロな車を借りた。

 ひとりでその辺をうろうろ走っているとお腹がすいたので市場で何か食べよう、と思い、車を降りて食堂に入った。そこで色のついたご飯を手でかき込んで食べるイマを見つけたのだ。

「何食べてるの?」

 ミライは日本語でイマの席の向かいに座った。イマはお化けでも見たように驚いていたがすぐに知っているものを見る顔に変わった。ミライの鮮やかなオレンジ色のワンピースがイマの目には眩しいようだった。

「あんた誰だ?」

「日本語、話せるのね」

 ミライはイマが自分のことをわかっていながらわからない振りをするのを見抜いていた。きっと話せない事情があるのだ。

「一口いい?」

「頼めよ」

「口に合うかわからないから」

「病気かも知れないぜ」

「いいの」

 ミライはイマと同じように手でごはんを掴むと口に入れた。味はサフラン。

「おいしい。頼むわ」

「オレは出る。勝手にどうぞ」

「こんなに残して。もったいない」

 ミライは料理が半分ほど残った皿を自分の方に引き寄せると、がつがつ食べ始めた。イマが呆れて見ているのが視界に入った。

「どこまで帰るの? 乗せてってあげるわ。車だから」

「だから誰だ、あんた」

「今更しらを切るつもり?」

「・・・・・・オレに関わるな」

「やっぱりそう言う理由だったの? 黙っていなくなったのは」

 イマは何も言わず剥き出しの食堂から出て行った。ミライはべたべたとした手をシミのついたテーブルクロスで拭って後を追いかけた。

「待ってよ」

「・・・・・・あんた、いい加減にしろよ」

「あんたなんて呼ばないでよ。一年一緒に暮らした仲でしょう? イマ」

「車はどこだ?」

「この先」

「行くぞ」

「うん」

 ミライは喜んでイマを車に乗せた。その黄色くて所々へこんだ車を見て一言だけ「ボロいな」と言った。

「レンタカーなの。一番安かったんだもん」

「すぐ壊れるぞ」

「自力で直すわ」

「女には無理だ」

 イマは窓を開けて、埃っぽい暑い風を車内に入れた。

 町外れにあるイマの家は大きくて古城のようだった。しかしお化け屋敷のように荒れていた。立派な庭や裏手にはプールまでついているのに草がぼうぼうと生えていて、人なんて住んでいないようだった。イマに言われて一応駐車場らしき場所に車を停めた。ミライが景色に見惚れてとろとろ歩いていると置いていかれそうになるので、慌ててついていった。家の鍵をがちゃがちゃやってドアを開けると空気の篭ったカビ臭い匂いがした。

「空気、入れ替えてないでしょ」

 ミライはイマよりも先に家の中に入り込み、すぐに窓を開けた。

「開けるな」

 イマはすぐにカーテンを閉めた。不思議そうな顔でミライはイマを見つめた。

「無防備なことをするな」

「それ、遮光カーテンなのね。あんまり暗いとまた目を悪くするわよ」

「・・・・・・太陽なんて鬱陶しいだけだ」

 そう言うと、イマは突然ミライの手を掴んで2階の階段を上った。

「痛いわ。もっと優しく握ってよ」

「覚悟するんだな。今からはもっと痛いことになる」

 イマは2階のドアを足で蹴って開けた。その奥にある大きなベッドにミライを投げ捨てるようにつき離した。マットのスプリングがその重みで大きな音を立てた。

「オレと一緒にいたいんなら言うことを聞け」

 そう言ってミライの体に覆いかぶさってきた。イマがミライの服を脱がしているとふとミライと目が合った。あまりにも冷静でまったくイマを警戒していない目だった。

「なぜ抵抗しない?」

「抵抗なんてしたくないもの。抱いてよ。あたしずっとイマの体に飢えてた」

 思わず言葉を失くしたイマは目を逸らしてミライから体を離した。

「どうしてやめるの?」

「抵抗しない女なんか面白くない」

「ふうん」

「一緒に住んでる女がいる」

「愛してるの?」

「人を愛したことなんかない」

「じゃあ、あたしも一緒に住む」

 バン! と大きな音でドアが開き、ミライとイマが驚いて振り返るとそこには派手な格好をした女が立っていた。

「あなたがイマと暮らしてる人?」

「誰、あんた」

「あなたも日本語が話せるのね」

「日本人だもの」

「余計なこと言うな、カコ」

「カコ?」

 イマはバツが悪そうに頭をかいた。ミライと、イマと、カコ。不思議な名前の連鎖。ミライはこの日からイマとカコの住む部屋に居座った。カコは嫌な顔をしたがイマが何も言わないので仕方なく一緒にいた。カコにも、ミライに放った言葉と同じことを言って一緒に暮らしているのだ。

 カコは何でも知っている女だった。恋愛経験も人生経験もたくさん積んでいるような口調で話す。それに対し、ミライは何も知らない。かと言ってお嬢さんかと言うとそんな訳でもない。何しろ好奇心の塊なのだ。イマは体格も程よく、ハンサムで、ひとたび外出先で顔を見られたら寄ってくる女は数え切れないほどだった。しかしいつもそばにいるカコの美貌を見るや否や、女たちは諦めたように去って行った。カコはこの上ない美しさを持ちながら、何にも動じない強さも携えているので大抵の女は適わないと思うのだ。

「稼ぎは?」

「これ」

 カコが金を差し出した。カコは娼婦だった。

「オレも仕事が入った。今夜だ」

「気をつけてね・・・・・・」

「ああ」

 イマが仕事に出るとミライとカコだけが部屋に取り残される。いつも階段を気だるそうに下りていくイマの足音だけを二人は聴いていた。イマに仕事が入ると3日は戻らなかった。何の仕事なのかはミライには教えてくれない。カコは仕方なく食事を作ってミライと一緒にテーブルで向かい合って食べた。食料が切れるとミライの黄色い車で買い出しに行った。車だけは便利だと思っているらしい。驚くほど物価が安くカコには内緒でミライが日本円をこの国の通貨に換金しようとすると釣りが出せないほど大きな額だったらしく、町にたったひとつしかない銀行まで行って崩してからようやく換金できた。

 ある日、いつも通り二人で買い出しに町に出た後、腹ぺこになったので「どこかの食堂に入ろうか」とミライが提案したが「テイクアウトにしてどこかで食べましょ」とカコに断られた。カコはこのあと仕事だからそれほど食べられないのだと言った。溢れそうなほどの野菜と鶏肉が入ったスパイシーな香りの炒めご飯をふたつ、ミライはスープ、カコはビールを頼んでテイクアウトにした。カコは見た目がとても目立つのでミライが受け取りに行った。

「はい。こぼさないように気をつけてね。お嬢ちゃん」

 日本人は元々若く見られるが、そんなふうに言われるほどミライは小さく、イマの帽子で長い髪を忍ばせてしまえばまるっきり子どものように見えた。ミライはこの国に来てから自分の服を着ないでイマの服を物色しては自分流にして着ていた。サイズが大きいから動きやすいというのと、変な格好、などと余計なことを言われないというふたつの理由があった。車を停めておける場所を探しているうちに海に着いた。砂浜の見える寂れた建物の影になる場所だ。

「ここでいいよ、ここで食べよう。涼しいし」

 カコがそう言うので、その場所に車を停めた。カコはさっそくシートを後ろにずらして買って来た昼食を広げた。ミライも同じようにした。しばらく黙って食べていた二人だったがカコの方から口火を切った。

「あんた、何でここに来たの? 日本は平和な国でしょう」

「ここよりはね。でも最近は物騒よ」

「本当にイマを追ってきたの?」

「うん」

 ミライは無邪気に言ってご飯を頬張った。

「変な子ね」

「そう? カコだって変だよ」

「あたしのどこが変だって言うのよ」

「イマを好きなところ」

 カコは、むっとしてミライのスープを取り上げて海に放ってしまった。

「あ! 何するの!?」

「うるさいわね。スープなんて飲んでかっこつけてんじゃないわよ」

「スープなんてかっこつけるような理由にならないでしょ」

 ミライはカコのビールを取り上げた。

「ちょっと!」

 しかし放ったりはせず、ごくりと一口飲んだ。

「ああ、良かった。喉が詰まっちゃうところだった」

 ミライはあっけらかんとしてビールをカコに返した。

「スープ、もったいないなあ。食べ物粗末にしちゃだめだよ」

「ふん・・・・・・。喉が詰まって死んじゃえば良かったのよ」

 カコはサングラスをかけて窓に頬杖をつき、帰るまでミライと口をきかなかった。

 二人が部屋に入ると、イマが戻っていた。

「イマ! 帰ったの!?」

 カコが嬉しそうにイマに抱きついた。

「痛ぇよ。頭から転んだんだ」

「大丈夫? 怪我は?」

「してない。大丈夫だよ」

「良かった・・・・・・」

 カコは愛しそうにイマを抱きしめてくちづけた。その背中をイマも抱きしめ返した。ミライはそんな時、二人をじっと見つめるしかなかった。

「あ、支度しなくちゃ」

 名残り惜しそうにカコはイマから体を離した。

「ちょっと、ミライ」

「なに?」

「あたし、これから仕事行くけどイマを看ててあげてよ」

「うん。気をつけてね」

「言われなくても気をつけるわよ。あんたこそバカなこと言ってイマに蹴っ飛ばされないようにね」

 イマはその言葉に笑った。カコも釣られて微笑んだ。

 それからすぐにルーティンと化したように機械的にシャワーを浴び、薄い絹のようなセクシーな赤いドレスを纏い、化粧をして香水を吹きつけ、髪を整えて、アスファルトに食い込みそうなヒールの靴を履き、カコは仕事に出かけた。ミライはイマと二人で部屋に残った。

「変なやつら」

 ぽつりとイマが言う。

「誰が?」

「おまえら」

「どうして?」

「仲良くやってそうじゃん」

「仲良しだもの」

 当然のようにミライは返した。イマは愉快そうに微笑んだ。

「ミライ、こっち来いよ」

「うん」

 近くまで行くとイマは背中から包むようにミライを引っ張った。その拍子に帽子が床に落ちてミライの長い髪が広がった。

「おまえは小さいな。オレの服を着ると余計」

「うん。太らない体質みたい」

「骨みたいだ」

 そう言って鎖骨や背中に触れてきた。しかし女性らしい柔らかさは隠しようがなく、イマは気持ち良さそうにミライの胸に顔を寄せた。ミライはイマの髪を撫でて、そっと体を覗き見してみた。体のあちこち。腕や肩、足に無数の擦り傷があった。一体イマはは何の仕事をしているのだろう。その時イマの腹が鳴った。

「おなかすいてるの?」

「ああ、何も食ってない」

「何か作るよ」

 そう言ってミライが立ち上がろうとするとイマに止められた。

「行かなくていい」

 ミライは黙って頷いてイマを抱きしめた。一瞬、この部屋に何かが足りないような気持ちがミライの頭をよぎったが、イマの吐息にかき消された。イマはミライの体中にキスをしたが、そこからは何もせずただミライを抱きしめていた。そうして時間が経つと、いよいよ空腹に耐えられなくなった。

「やっぱ、なんか作るか」

「うん」

「何食う?」

「あたし、何でも食うよ」

「なんだよ、その言葉遣い。女だろ」

「認めてくれるのね」

「一応、セックスはしてるからな」

 突拍子のないイマの言葉にミライが顔をが赤くしたのでイ、マがここぞとばかりにからかった。

「い、いきなり言うからびっくりしたのよ」

 ミライの顔はますます火照った。イマは傷を痛がりながらも俯き加減で微笑み、その顔はやはりミライが大好きなものだった。

 ただのお腹をすかせた子供のようになっているミライをその辺に座らせて、イマが調理をした。野菜を刻み、様々なスパイスを振った香ばしいソースを混ぜて、肉を炒めた。余った野菜は鍋に湯を沸かしてその中に投げ入れ、スープにした。調理をするイマの手際が驚くほど良いのでミライは見惚れた。

「そんなに器用だった?」

「何度もへまをやらかしてるよ。今はほとんど毎日料理してるから慣れただけだ。特別うまくもない」

「カコは作らないの?」

「あいつの方が仕事の量が多いからな。作る暇なんてないだろ。疲労もあるだろうし」

 よくわかってるんだ。カコの仕事は娼婦。恋人がそんな仕事をしていてイマは嫌じゃないのだろうか。けれど、この間のイマの言葉がよぎる。

 人ヲ愛シタコトナンカ、ナイ

 ふたりは出来上がった料理を傍から口に入れるので、立ったまま食べた。それでも楽しくてミライもイマもたくさん笑った。外はもう真っ暗だ。カコは今日一日戻らない。

 その時外で物音がした。そして車が何台か停まる音が。

「ミライ、隠れてろ」

「イマこそ隠れてて」

「何言ってる。やつらはオレを嗅ぎつけたんだ。報復しに来たのかもしれない」

「やっぱり」

「やっぱり?」

 ミライはイマの言葉を無視して、力ずくで納戸に閉じ込め、鍵をかけてしまった。

「ミライ!」

 ミライは深呼吸をして、階段を上がってくる何人かの足音に耳を澄ませる。彼らが階段を昇り切る前に眩しいくらい照明をつけた。ばたん! とミライのいる部屋のドアが開いた。数人の恰幅のいい男たちだった。

「何よ! 人の家に勝手に!」

 ミライはその場にいるみんなが驚くような大きな声で言った。納戸の中にいるイマも秘かに驚いていた。

「・・・・・・男はどこだ?」

 その中の一人が驚きを隠しながら聞いてきた。

「男? 前に住んでいた人のことは知りません。私、格安でこの家を買ったのよ。何なの? 人の家に勝手に入ってきて」

 ミライはポケットに手を突っ込んでいた。それを一人の男が見た。そして部屋の中をぐるりと見渡すと、可愛らしく飾られたミライのぬいぐるみや、普通に料理をした後などを見て勘違いしたと思ったようだった。

「大変失礼しました。どうやら場所を間違えたようです。すぐに出て行きますのでどうかご勘弁願います・・・・・・」

 そう言って両手を上げながらドアを閉め、静かに引き下がった。車の去って行く音がした。そしてそれが聞こえなくなった頃、イマはやっと納戸から解放された。

「何やってるんだ! 危ないだろう! 大丈夫だったのか?」

「ポケットに手を入れてたの。ピストルだと思ったんじゃない? あのチンピラ」

 そう言って振り返ったミライはイマに頬をぶたれた。その拍子にバランスを崩してミライはその場で転倒してしまった。

「どうしてあんなに危ないことをするんだ! レイプなんて何でもなくやっちまうような連中なんだぞ!」

 イマは、自分でふっ飛ばしたばかりのミライを今度は優しく引き寄せ、抱きしめた。

 やっぱり。この人はずっとミライが愛していたイマだ。やっぱりそうなんだ。ミライは温かいものが込み上げて来てそのままイマの胸に顔をうずめ、背中に腕を回した。イマはミライの顔を乱暴に上に向かせるとその涙ごとキスをした。そのまま床に倒れ込み、二人は久し振りに裸で抱き合った。懐かしい匂いがする。ミライはその絹のような手触りのイマの肌を撫でた。イマも、細いが女らしいふくよかさを持ったミライにそっと触れた。

 互いに壊れ物を扱うように少しずつ抱いていった。汗が滲んでも、それすらも愛おしかった。緩やかに時間は過ぎた。小鳥のさえずりが聞こえる頃、ようやく二人は朝が来たことに気づいた。抱き合っている間、イマは色んなことをミライに話した。イマは殺し屋だった。ミライは一緒に過ごして行く中で気づいていた。だから見知らぬ男たちが来た時「やっぱり」という言葉が口をついて出たのだ。そんな仕事をしているイマは、日本を離れ、小さな、誰も来ないようなこんな町にでも逃げなければ命が危なかったのだ。

「何人くらい殺したの?」

「数えてない」

「地獄に落ちるよ」

 イマはミライの顔を見た。

「あたしもきっと、地獄に落ちる」

 窓の隙間から涼しい風が入って来て二人の髪を揺らした。

 何時間かそうしているとカコが仕事から帰った。ミライとイマは裸でベッドにいた。

「お帰りなさい、カコ」

 イマの服を羽織ってミライはカコを出迎えたが、カコは、ぷい、と背中を向けた。しばらくしてキッチンから何かを作っているような音がした。

「手伝ってくる」

「蹴っ飛ばされるぞ」

 ミライは一瞬だけ立ち止まりイマを振り返った。イマはミライが見ていることに気づかない。カコはあたしとイマが寝たら面白くないのね。イマとカコはよく寝てるけど、あたしはまったく気にならないんだけど。そう思いながら階段を下りて行った。

「・・・・・・何しに来たのよ」

「お手伝い」

「いらない。あんたの顔見るとむかむかしてくる」

「本気?」

「いいからどっか行ってよ」

「どうしてそんなに怯えてるの? カコはすごくイマに愛されてるのに」

 カコの手が止まった。

「あたしじゃなくカコを愛してる」

「・・・・・・じゃあ、あんたの存在は何なの」

「以前はこれでも恋人だったのよ。でも人間って変わっていくね。そう感じる」

 カコが棒のように固まったままなのでミライは笑って言った。

「ね。手伝っていい?」

 イマもカコも仕事がない日、ミライは三人でドライブに行こう、と提案した。バスケットにたくさんの食べ物を詰めて、途中市場で飲み物と果物を買って。出かけた先は海。三人は降りた途端はしゃいで海の中に入って行った。イマは転んでお尻を濡らしてしまった。

「ちょっと、やあだ。イマったら子供みたい」

 カコはミライの腕を叩いてけらけらと豪快に笑った。ミライは笑いながらカコを可愛い小動物のようだと思った。もちろん口には出さない。

「おまえらも来いよ」

 イマが楽しそうな声で叫ぶ。二人は奇声を上げながらイマに従い、海の中に入った。

「イマ、濡れたパンツなんてはいてちゃだめ。ヌードビーチよ」

「じゃ、おまえらもそうしろよ」

「あたしたちはいいのよ、ね。ミライ」

「そうそう」

「うわっ、おまえら、ちょっと待てって」

 女二人は途端にチームを組み、イマのパンツに手をかけて脱がそうとしたのでイマは笑いながら必死に逃げた。その内、太陽は真上になり三人は腹ぺこになった。ミライとカコがバスケットを持ってきた。イマは缶ビールを一本取り出してプルタブを引いてごくごくと飲んだ。口の端からビールが一筋流れた。カコはその一筋のビールを舐めた。イマはカコにそのままキスをして口移しでビールを飲ませた。ミライはやはりそんな時見つめるしかなかった。

 帰りの車の中で後ろで眠りこけるイマとカコをルームミラー越しに見て微笑んだ。はしゃぎ過ぎなんだってば、そう思いながら。

 次の日、カコに仕事が入った。またミライはイマと二人きりになった。夕飯を終えた後、洗い物をするミライの背中に不意にイマが聞いてきた。

「お前さ」

「うん」

「帰んなくていいのか」

 ミライは少し考えてから、微笑んで話し出した。

「あたし、イマとカコとずっと一緒にいたい。このまま」

 イマは目を伏せた。長い睫毛が憂いの影を頬に落とした。

「オレは、あいつと死ぬまで一緒にいると言い合った」

 洗い物をする手が止まった。蛇口から出る水の音だけが部屋に響いた。長い沈黙だった。イマが口を開きかけた時、ミライがやっと一言呟いた。

「それは誓いって言うのよ、ヤクザみたいな言葉遣いして。イマって本当に喋るの下手ね」

 いつもならそんな軽口を叩くミライに冗談で突っかかってくるイマだったが、ミライの声には真剣なものが含まれていて何も言えなくなった。そして、華やかな笑顔でイマを見た。イマは戸惑っている。

「大丈夫よ。あたし、どこででも生きていけるから。心配しないで」

「・・・・・・おいで」

 蛇口を回す時、それでも手が震えた。ミライはイマに向かって歩いた。足元がふわふわとしてなかなか近づけない。きっとこれがあたしとイマの距離なんだ。

 やっとの思いでイマの許に辿り着くと倒れるようにその愛しい腕の中に落ちて行った。

「・・・・・・おまえの肌はきれいだな、するする手が滑る。それに美人だ」

「そういうセリフはもっと早くに言うものよ」

 そう言ってイマの頬にかじりついた。

 カコが帰って来た時、テーブルの上に一枚の置手紙と分厚い封筒を見つけた。何かを察したカコはすぐに手紙を読んだ。書いたのはミライだ。

 カコへ

 あたし出て行くね

 あたしが自分で決めたことだから 心配しないでね

 やっぱり イマは カコを愛してるよ

 イマがカコを カコがイマを 愛するように

 そんなふうに 愛し合える人と

 短かったけど 一緒にいられて良かった 

 それから

 もう 娼婦はやめてね 

 カコ自身が 望んでない仕事だって わかってるよ

 それから実は イマは心配もして 嫉妬もしてるよ

 多分 これだけあったら やめられるはずだから

 何も言わないで 受け取ってね

 手紙は あたしが死んだ時の 遺言だと思って

 でも大丈夫 あたしは 死なないから

 バイバイ ありがと

 カコは慌てて封筒を開けた。日本円がぎっしり詰まっていた。

「嘘・・・・・・ミライったらバカよ、あの子・・・・・・!」

 カコはその手紙と封筒を持ってイマのいる2階に急いで上がった。

「イマ、イマ、いるの!? これを見た?」

 手紙の存在は知っていたが、これほどの大金を置いていったなんてイマも知らなかった。

「ミライはどこ?」

「・・・・・・いない」

「いつから?」

「昨日、おまえが仕事に出てからすぐだ」

 カコは驚いて目を見開いた。もう届かない。

 

 昨日、最後にイマがミライを抱いた日、ミライはイマの髪を撫でながら話をした。カコを決して一人にしないでと。あたしに誓ってと。イマもカコも倒れ掛かれる安心したものがないと動けない人だわ。今まではあたしこそがそういう人間だと思ってた。でも、あたしはそういうものを持たない人間だった。気づいたの。あたしは馴染む。変温動物みたいに。カンボジアでもニューヨークでも。きっとあたしは、どろどろと蕩けてその地に落ち着けるから。そしてシャワーを浴び、イマの元に戻って来た。

「じゃ、行くね」

 その一言だけ。そんなミライを仔犬のように純真な目で見上げるイマが目にしたのは、見たこともないワンピース姿のミライだった。この国に着いたほんの僅かな日だけ着ていた日本の服。あとはすべてイマの服を着ていた。これが、最後のしるしだ。

「送らないでね」

 そう固く言われたイマは2階から黄色い車が出る様子だけを見ていた。

 それが最後だった。カコは知らない内に涙をこぼしていた。イマはその涙を見てミライの言うように守って行くべき人間であり、イマ自身はその弱さに救われる人間であるのだとカコの存在を思った。カコはイマがどんな仕事をしていようとずっと自分についてきた女だ。強いのに弱い。イマがいないと、この小さな子どものような女は壊れてしまうのだ。それはイマにも言えることだ。互いに孤独すぎて依存しなければ生きていけないふたり。それをミライだけが見抜いていた。

「カコ」

 カコは涙に濡れた目で話を促した。

「死ぬまで一緒にいるって言ったの、憶えてるか」

「もちろんよ・・・・・・」

「誓いって言うんだな。そういう類の言葉ってのは。ミライに教えてもらった」

「そうよ、誓いよ。あたしは離れないからね。ミライの分も」

 いつかミライが言っていた。地獄に落ちると。きっとその地獄までもカコならついてきてくれるだろう。

 ミライの乗った黄色い車は小さなヒッチハイカーを乗せていた。

 どこまで行きたいの?

 ニューヨーク。

 じゃ、乗せてくわよ。

 マジ!?

 うん。あんたとは気が合いそう。

 相手はセックスも知らないような少年だ。

「名前は?」

 ミライが少年に尋ねる。

「カントリー」

「カントリー?」

「うん」

「あんたのカントリーにあたしも行っていい?」

「もちろんいいよ!」

 少年は明るく笑顔になる。ミライもにっこりと笑顔を返す。雨が降ってきたのでワイパーをつけた。赤信号になり車を停止した。ミライは窓を開けて顔を出し、思い切り雨を浴びた。

《 Fin 》

2005年6月20日

解説

この物語を想起したのは「そして僕は途方に暮れる」なのですが、まったく歌詞とお話が違うことにまず自分で驚いています。大澤さんの曲に焦がれながら、心のどこかではどれだけその世界から離れられるか、自分に課していたように思います。

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