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Kiss The Rain

by 幸坂かゆり

  彼女

ここの所、ずっと雨が降っている。

雨はすき。

初めてあなたと抱きあった日が、今日みたいな雨の時だったから。

そんな事を思い出すだけで、幸せな気分になる。

実際には、とても離れた場所にいるのだけど。

そんな私の事を職場の人間は、強い、と言う。

でも、誰かを思い出さなければ生きていけない人間のどこが強いと言うの?

話を合わせて「遠距離恋愛」なんて言葉を使ってみたりするけど、

本当は、その言葉はきらい。

道の距離だけではなく、心の距離まで遠くしてしまうみたいだから。

私の毎日は、他人に言わせると退屈かも知れない。

朝起きて朝食を食べて仕事へ行く。

何の変哲もない事務の仕事。

ただ長く働いている、というだけで表彰されてしまう事もあるのだ。

それなりに仕事を覚え、後から入って来た人に教えられる、その程度の物なのに。

5時に仕事を終えて夕食の買い物をして帰途に着く。

シャワーを浴びて、音楽を聴いて、少しお酒を飲んで、

適当な時間になったらベッドに入る。

それは変わらない習慣になっている。

「ある時間」を除いては。

それは、決まっている訳ではない。

RRRR……心臓が高鳴る。

彼からの電話。

2回目のコールで受話器を取る。

「もしもし」

今日も雨よ。そっちはどお? 

少し声がかすれているけど大丈夫?

仕事で感情的になったの? あなたらしくないわ。でも面白い。

そんなに笑うなって? だっていつも完璧にクールに見せてるんだもの。

大丈夫よ、わかってるわ。あなたがクールなんかじゃないって事は。

……うん。わかった。あなたも体に気をつけてね。じゃ、またね……。

電話が切れる。

ツーツーという無機質な音を聴きたくないから、すぐに受話器を置く。

彼との電話、そしてその後、私は小説を書くのだ。

  彼

最近、なかなか雨が降らない。

晴れてるのは結構だが、こうも続くとうんざりする。

職場の連中は、やれ車を使えだの電車を使えだの言うが、

仕事に行く時は、なぜか徒歩が安心する。

職場、確かにそうなのだが、本当はそう呼びたくない。

そう、遊び場。

金をもらうし、社長には言えないがそうなのだから仕方がない。

おれの仕事は「音楽家」といったところか。

「先生」なんて呼ばれる事もたまにあるが、苦笑してしまう。

ましてや仲間、バンドメンバーに聴かれたら大笑いされてしまうだろう。

いつもおれは「音」を探している。

自分のアルバムに使えそうなもの、面白くて、でも誰も使わないような。

以前、売れない頃、書きたくもない曲を沢山の人間に作った事があった。

1オクターブ以内で作ってくれ、なんてバカげた注文もあった。

そして、一度はこの業界から身を引いた。

けれど、純粋な創造性がもう一度おれをこの世界に呼び戻した。

それからは自分が納得したものしか作らない。

曲の提供も無闇にしなくなった。

音楽はとても大切だ。

けれど、もうひとつ、おれには大切なものがある。

今はとても遠い所にいる。

昨日電話した時、受話器を通して雨の音が聴こえた。

あの音はとても切なかった。

距離を感じた。

言いたくもない事を言ってしまいそうな自分を抑えるのに必死だった。

「男が近くにいるのか?」

聞かずに済んだのは、彼女がおれの声の調子に気付いたからだ。

正直、驚いた。

元々、おれの声はハスキーだ。

風邪なんかひいたって誰にも気付かれやしない。

風邪はひいていなかったが、いつもよりかすれていたのは事実だ。

おれはあの時、泣きそうなくらい彼女を求めていた。

おれは心から彼女を愛している。

  彼女

たったひとつでも心の痛い恋愛をすると、それはその人間にとって宝物だと思う。

例え、50回恋愛をしたとしても「心」が伴わなければ、

恋をしたことがないと一緒。

けれど、どちらも離れた時の不安は同じね。

ただ、それが辛くてどうでもいい人と寝るか寝ないか。

別れ道という誘惑はたくさんある。

私だって特別でもなんでもない。

淋しいと思って職場の飲み会に出て、優しくされたりしたら、

つい、ほだされそうになる事もある。

でも悪戯に寝たりしない。

そんなつまらない理由で彼を失いたくないから。

私が書いた小説は賞をとり、私はプロの作家になった。

だからと言って、私生活はなにも変わらないのだけど。

だって相変わらず、昼は事務の仕事をしているもの。

作家になったからって大金持ちになるとは限らないわ。

  彼

彼女の側に男がいる、という思い込みが頭から離れない……。

絶対に有り得ないと考えられる時と、浮気のひとつくらいしているだろう、

と、考える時が一日の中で、ぐるぐると回っている。

彼女は綺麗で優しい人だ。

艶やかな長い髪、白い肌、鮮やかな笑顔。そのすべてが。

彼女の事を考えると、気が狂いそうになる。

男に誘われたらきちんと断っているのだろうか?

気がつくと、まるで彼女の親のようになっている自分がいて苦笑する。

おれは過去にどうでもいい恋愛ごっこを沢山して来た。

だから軽い男の気持ちはわかる。

その中で出会ったから彼女もその範疇を越えないだろう、と思っていた。

けれど違った。

彼女は違った。

他の誰とも。

  彼女

今朝の顔は最悪。

昨夜、彼と喧嘩をしたからだ。

私は作家になれた事が嬉しくて興奮して、職場から家に着く前に電話をした。

そう、最初は良かった。

彼も喜んでくれた。

私の長年の夢だったから。

その時、私がかけていた公衆電話側の後ろで男の人の笑い声が聞こえた。

彼は受話器の向こうで黙った。

「で、今日はどんな男に祝ってもらうんだ?」

彼は続けてこう言った。

「側に男が居るんだろ? 待たせちゃ悪いな」

私は傷ついて沈黙したけれど、

喉の奥からなんとか声を振り絞って言葉を口にした。

「……誰にも祝ってもらわない。あなたの言葉が一番のお祝いだと思ってる」

私はそれだけ言うと静かに受話器を置いた。

彼が誤解した男の人は、もう恋人らしき女性とどこかに行ってしまって、

姿も見えないのに。

ああ、また雨が降ってきた。

  彼

彼女は弾んだ声で、おれに作家になった、と連絡をくれた。

おれも嬉しくて大きな声で「おめでとう!」と言った。

彼女も嬉しそうに笑っていた。

家からの電話ではなく、公衆電話だった。

しかし、近くから男の笑い声が聞こえた瞬間、おれは頭に血が上った。

おれの心ない問いかけに彼女は悲しい声で否定した。

ひどく、か細い声だった。

慌てて謝ろうとした時、電話が切れた。

かけ直すにもどこかわからない。

最初はあれほど腹が立ったのに、もうそんな気持ちは吹き飛んでいた。

何故あんなに酷い事を言ってしまったんだ!

激しく後悔の念が押し寄せる。

おれは最低。

  彼女

ちょうど重い気分で部屋に戻った時だった。

彼から電話が来た。

驚いてすぐに出た。

彼は申し訳ないくらいに、謝って来た。

もちろん、すぐに許した。

こんな事が起こるのは距離のせいなの?

「私、あなたに手紙を書くわ。読んでくれる?」

  彼

私の字を感じて。

彼女はそう言っていた。

「……待ってる。」とだけおれは返事をした。

おれ達が互いの仕事でこうして離れて2年経つ。

最初は絶対大丈夫だという根拠のない自信があった。

それなのに現実はどうだ。

圧倒的なおれの嫉妬で彼女を傷つけてばかりいる。

いや、彼女も嫉妬くらいしているかも知れない。

どうしようもなく、彼女に触れたい。

逢って、この手に抱きしめたい。

逢いたい……。

  彼女

離れている私達にとって、この言葉は言ってはいけないのかも知れない。

でも、あなたに逢いたい。

泣きそうなほど、逢いたい。

逢いたくてたまらないの……。

―――――――――――――――――

  手紙

こんにちわ

手紙なんて久し振りよね

最近 ずっと考えていたの

距離って何なのだろう、って……

お互い仕事が落ち着いていなくて

軽々と逢いに行ける場所にも居なくて

それは 分かってるつもりなんだけど

ねえ 外は今日も雨が降っているの

さっき雨に思い切り打たれて来たわ

いやな想いを流してしまいたくて……

ねえ 何年か前に流行った曲を覚えている?

わたしたちは同じ空の下にいるのだということを

からっぽの夜を過ごしていると あなたが思っている時は

わたしも同じ思いに苛まれているのよ

忘れないで……

わたしを求めずにいられなくなった時はいつも

雨にキスしてね

そんな歌詞だった

私が住む場所は元々雨が多いのだけれど

あなたの住む場所は少ないでしょう

でも近々 台風が来るそうよ

気をつけてね

心にも気をつけるのよ

浮気の心配なんかじゃないわ

もっと 大切な事

自分に酷い事を言ってあなた自身を傷つけたりしないで……

それじゃまた書くわ

本当に無理しないで

お酒 飲み過ぎないでね……

―――――――――――――――――

  二人

その後、二人はなんとか調整して逢おう、と決めた。

ほんの一週間の休暇だった。

そして、空港で互いの姿を見つけた時、駆け寄って抱きしめ合った。

彼女は泣いていた。

彼がその涙を拭おうとした時、彼女が彼の顔に手をのばした。

不思議そうに見つめ返す彼の顔を見て、思わず笑ってしまう。

彼の頬も涙が伝っていたのだ。

案の定、恥ずかしさからすねる彼。

当然、本気ではない。

二人は涙の残る顔のまま、微笑み合って、くちづけを交わした。

温かい感触。

二人の顔が雨に濡れたようになる。

一週間は、あっという間だった。

愛しさは、離れたその瞬間からつのっていった。

けれど、また逢えない日々が続いたら、彼女の手紙に書かれていたように、

雨が降るたびに雨にくちづけをしていた。

あの日の愛しい涙を想い出せるように。忘れないように。

彼も。彼女も。

そうして、次に逢う日のために暮らして行く。

《 Fin 》

2004年4月18日

解説

小説投稿サイト「ゴザンス」という場に投稿したものです。パソコンのコピー&ペーストと言うものすら知らない頃だったので、下書きなしのぶっつけ本番で書いたものです。ここでは改行など見やすく変えようと思いますが文章や言葉はそのままあの頃のパワーのまま推敲せず置いておきます。ちなみにこの掌編はビリー・マイヤーズのヒット曲「Kiss The Rain」から想起しました。とても好きな曲です。

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