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身勝手なふたり

by 幸坂かゆり

私と彼はレイトショーを観に行った。

仕事を遅く終えた日に一緒にごはんを食べに行ったり、こうして映画を観に行ったりするが彼には彼女がいて私にも彼がいる。彼は私にとって男友達の一人だし、彼にとっても私は女友達の一人だ。とても気が合う。互いによく笑い、ブラックジョークに近いほど観た映画を批評し、議論になるほど熱く語る。彼の車で送ってもらい、帰途に着く。望んでいなかった。これ以上のことは。

どんなに近い距離でつき合ってきても友達以上になれない。

互いの恋人の気持ちを無視した身勝手な考え方だ。恋人は優しくて理解がある人だ。だからこそ気がねなく私を男友達の下に送り出せるのだろう。私の本音は恋人を傷つけるものだ。しかし友達であるはずの男のことが好きで、こうして会っている時にハプニングを期待している自分がいる。今がこうして平和なのはただそこから先に行く方法がわからないだけなのだ。なんて酷い人間だろう、と自分のことを思いながら、それでも男友達は私のことを一体どのように考えているのだろうとも疑問に思う。

友達という仲。最初は気がつかなかった。けれど普段の生活の中でどんなに小さなことでも彼を思い出し、気がつくと家の中、持ち物、すべてが彼が好きだと言うものに溢れていたのだ。1年経とうとしていた頃、急に自分の部屋を見渡して気づいたのだ。私が好きで集めたものなのか彼が好きで集めたものなのかわからない数々のもの。それが部屋一杯になった頃、彼が好きなのだと気づいた。

そう思っても虚しさを感じるのは彼にも恋人がいるからだ。

もちろん内面はわからないけれど彼の態度もずっと変わらないからそれが答だ。私だけが変わって行く。醜い。そんなことに耐えられなくなり、とうとう私からアクションを起こした。

この日、雨が降っていた。おまけに渋滞で車がなかなか動かない。

「来るときは晴れてたのにな」

「ごめん、あたし雨女だから」

「おまえが降らせたの? すげえな」

軽口を叩きながら笑う映画の帰り道、彼に送ってもらっている車の中で彼の携帯電話が鳴った。ちょうど赤信号になったので車を停めた時だ。彼は電話に出た。雨で相手の声がよく聞こえないせいで電話のボリュームを大きくした。そこで相手が彼の恋人からだとわかった。彼女の声も私に聞こえたから。その瞬間、私の心は暴走を始めた。

「さよなら」

ひとこと言って完全に停めてある訳ではない彼の車から降りた。周りからクラクションを鳴らされた。彼が何か叫んだようだったが前後に進めない渋滞の中では彼が車から降りる事は困難だ。それを計算した上で飛び出した。歩道に上がることもせずペイブメントの上を逆走した。敷き詰めてあった緑は私の足で潰されて水がはね上がった。自分で自分をひどい女だと思った。それと同時に私自身がこの緑そのものだと思う。押しつぶされた緑は私の心だ。

間合いを見計らって歩道に出た。

雨は既に上がっていたが、着ていたシャツもスカートも濡れておまけに泥がはねていた。彼からは電話もない。走りすぎて疲れ、どうせ真夜中だし、と私は高いヒールの靴を脱いでアスファルトの上を歩いた。ひんやり湿ったアスファルトは靴に疲れた裸足には心地良かった。時折通り過ぎる人は単なる酔っ払いだと思うだろう。しかし冷たいアスファルトを歩くうちに段々我に返り、涙が溢れてきた。やはり電話は鳴らない。一体私は何をやっているのだろう。恋なんて初めてでもないくせに。そう言い聞かせるたびに涙が止まらなくなる。電車に乗ればすぐに部屋に着く距離なのに、歩くとこんなにも遠い。まるで恋だ。会っている時はその人が私だけを見ていると思う。それなのに離れたら、やっぱり私のものではないのだと思う。

私はあまりにも溢れる涙に呆れ、バッグを探ってハンカチを出そうとした。

その時、いつもあるはずの感触がそこにないことに気づいた。携帯電話がない。慌ててバッグに手を突っ込んで探した。涙が一気に引いた。最後にどこに置いたのか考える。映画に行く前に寄った彼の部屋? いいえ、出る時には画面を見て時間を確認した記憶がある。ということは、彼の車? まさか。さよならと言った人間がそんな置き忘れをするなんて茶番だ。けれどないと困る。仕事にも関わる人の情報も入っているのだ。私は数少なくなった公衆電話を探し、自分の携帯電話の番号をプッシュした。1回、2回、コールが続く。もしかしたら車から飛び出した瞬間外に落としてしまったのかも知れない。

ため息をついて受話器を戻そうと思った矢先に繋がった。男友達である彼の声が聴こえた。

「もしもし」

「……もしもし」

なんの抑揚もなく、ただ動揺したまま私は答えた。

「忘れ物」

「わかってるわよ」

「今どこだ?」

「あなたが走ってきた逆方向をまっすぐ」

場所も言わないなんて、どこまで意地っ張りなのだろう。

「すぐ行くから見える場所にいろ」

「どうしてそんなこと言うの?」

私の言葉を遮って電話は切れた。ツーツーという公衆電話の音を久し振りに聞いた。私はなすすべもなく裸足で片手に靴を持ったまま道路付近に立った。

20分ほど経った頃か。

彼の車のエンジンの音が聞こえた。気づいたが目を背け、知らない振りをした。彼が近くに車を停める音がした。ドアを開け、少し乱暴に閉める音。すべてが心の内側に響く。彼の靴音が後ろから近くなる。どうしよう。その時、背後から腕が回ってきた。彼の匂いがした。

「どうしてあんな危ないことするんだ!」

少し怒っているその声もまた、いとしく感じてしまう。

「あたしの勝手な想いにあなたをこれ以上つき合わせちゃいけないと思ったの」

「だからって無謀だ」

どっちがよ。今、彼は私を背後から抱きしめているのだ。こんなところ、彼女に見られたらどうするの。心の中の声ではいくらでも言えるのに言葉にできない。

「ずっと渋滞してて、ここまで来るのに何時間も経つくらい長く感じた。オレも歩けば良かったな」

「車、どうするのよ」

「どこかに置き忘れる」

「ばか」

「誰かさんよりはまともなつもりだ」

「離して」

彼は腕をほどいたが、私を正面に向かせた。

「見ないで」

「否定ばかりだな」

私は下を向いた。その時、彼は私の前に屈んだ。

「そんなにいっぱい泣いて」

涙の跡がたくさん頬に線を作り、私の鼻は真っ赤だった。

「おまえさ」

私は目で話を促す。

「魂の存在って信じる?」

急な彼の話題に目をぱちぱちとさせた。

「なんか今流行ってるよな。魂がどう、とか言うやつ」

「スピリチュアル系なんて信用してないわ」

「もちろんオレもそんな世界わかんないよ。でも、おまえが車を出た瞬間、失くしたくないものがわかった気がしたんだ。偶然って実はないんじゃないかな、なんて思った。なんで今日に限って彼女から電話が入ったのか、しかも雨なのか、渋滞なのか……オレさ、おまえが車を降りたあと慌てて彼女との電話切っちゃったんだ。連絡もしてない。最低なやつだろ?」

私は涙の残る顔で彼を見た。

「オレを好きなんだよな?」

言葉が出ない。何のための問いかけ? それは断りを意味しているのか。それとも。怖くて何も言えない代わりに頷いた。

「痛いことに耐えられるか?」

彼の言葉に、私は気の弱そうな顔になった。

「いや、耐えてくれ」

「……なによ」

震える声で私は答える。

「彼氏と別れろ」

「え?」

「オレも彼女と別れるから」

「何言ってんの?」

「聞こえなかったのか?」

その力強い声に瞬間、思わず首をすくめる。

「オレ、おまえの気持ちに気づいてたんだ。だけど、わざわざ壊す必要もないと思ってた。ずっとこのまま彼女とおまえの間で過ごそうと思ってた。だけど強引に別れを言われて気づいた。今動かないでいつ動くんだって。オレの中でおまえの存在がどんどん大きくなっていってたんだ。車の中でおまえの携帯を見つけた時、彼女の存在を忘れてた。必死におまえを探した。これは天から与えられた必然なんだと思ったよ。偶然なんて、この世にない」

ばかみたい。浸っちゃって。だけど私だってばかだ。いとしい人にこんなことを言ってもらえることに幸せを感じるのだから。

「どんなに痛いことだって耐えてみせるよ。ばかにしないで」

そう言って、今度は彼に首をすくめさせた。

「やっぱりそんなこと言うやつ、おまえしかいない」

彼は先ほどよりも強引に私を抱き寄せた。私も彼の背中に腕を回した。強く。これまでの涙分ほど。そして恋人と友達を分ける、ただひとつのことを私にした。唇にキスを。ああ、もう戻れないね。私の体が彼に溶け込むように、抱きしめやすくなるように変化した。そして心の中でこれから泣かせることになる「ふたり」を思い、身勝手に同情する。恋愛は人の勝手な想いで動くのだ。けれど真剣には変わりない。どれだけの恋を終わらせようとも。

《 Fin 》

2006年6月14日

解説

旧ブログ「ソファーの上でロマンスを」にて公開していた掌編です。あの頃は恋愛の話が本当に多く、読み返してて甘ったるくて鳥肌が立ちました(笑)ほんの少しでも鳥肌を減らすべく推敲してみました。

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