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純粋な染色体

by 幸坂かゆり

折り紙は幼い頃以来折っていない。

チェストの引き出しを開けてみると、そこには色鮮やかな赤い折鶴が既に鎮座し、引き出しを小さな自分の部屋のようにして羽を広げていた。懐かしかった。あなたはよく病室でも器用に折り紙で色んなものを折っていた。その見事な鶴の隣に、その鶴を折ったものと同じ質の紙があった。僕はその中から一枚色を選び出した。陽射しがよく当たる白いこの部屋で、あなたの赤い鶴によく似合う色が欲しくて少し考えたのち、薄い若草色の紙にした。ほどよく張りのあるその紙を窓にかざすと、透けて、宝石のように見えた。その宝石のような紙をコンソールテーブルに乗せた。

少し緊張して折り紙と対面する。赤い鶴のように完璧に折れるだろうかと思いながら紙をまず三角に折ってみる。三角からだったかな。余計な折り皴をつけたくなかったが、憶えていないのだから仕方がない。いくつか失敗したのち、少しずつ過去の勘を取り戻し、折って行った。紙を折る涼しい音がカーテンに吸い込まれていくような静寂だった。

しばらく時が経った頃、若草色の折鶴は完成した。嘴も、しっぽも、鋭角にはならなかったがまずまずよく出来た方だ。僕の折った一羽だけだと均衡が取れず、横に倒れてしまうので赤い完璧な折鶴の横に並ばせてもらった。並ぶとつがいとなった鶴はますます鮮やかに見え、部屋の中で存在感を増した。僕は大きくため息をついてチェアに凭れ、部屋を新ためて見渡した。

この部屋はまるで木漏れ日のようだった。

柔らかく陽の光を遮るレースのカーテンには、全体に繊細な刺繍が施され、優しく色褪せていた。カーテンで隠された足許から天井まで続く大きく広い窓は、しっかりと鍵がかかっていたが、ガラスは磨かれ、水の膜が張っているように潤んでいた。空調は加湿器と空気清浄機と共に設置してあリ、広々とゆらゆらと空気を踊らせていた。壁は一面に白く、石膏で固めたような柄をして今にも動き出しそうな立体感がある。床とドア、置いてある家具類はすべてチーク材で揃えて作られていた。明るい色調はカーテンや壁とよく馴染んでいた。その床には同じ材質でもう少し明るい色のベッドが置かれ、枕やベッドカバーなどは、ベッドの下に上手に収納され、見えない工夫がなされていた。ベッドの横には小ぶりなコンソールテーブルとチェストが置かれ、テーブルの上には小さな時計、黒革でできた馬の頭部を象ったブックエンド、香水用のガラス瓶がひとつ置かれていた。チェストの引き出しはぴったりと閉められ、何が入っているのか外からは見えなかった。更に横を見ると、古ぼけたウィンザーチェアが一脚置いてある。

そのチェアに、僕は今座っている。チェアの上には籠が置かれていたが床に降ろした。ワッフル織りのクロスが掛けられていたが、持ち上げると軽かったので中を覗くと何も入っていなかった。その他にこの部屋には何もなかった。床は、歩くとぎゅう、と音が鳴ったので、なるべく傷をつけないようにそっと歩いた。時が止まったようなこの部屋で、あなたはたった一日だけ暮らした。幸せそうにたくさん笑っていた。今も笑い声が聞こえて、あなたがベッドの中から顔を出すのではないかと思えるほどだった。そう思いたいほどこの部屋には確実にあなたの存在があった。もちろん、何もかもが古く、飾り気のない木の製品ばかりある部屋だが、あなたの確かな手が、息が、伸びやかにかかっていた。白い部屋の中にたった一羽の赤。それはまさにあなたの血のように見えた。

「そろそろよろしいですか?」

この部屋の管理人がそっと声をかけてきた。

「大変、お世話になりました。これほどまでに美しく保管してくださってとても感謝しています。」

僕は深々と頭を下げた。

「いいえ……。本当はこのまま置いておきたいくらいです。」

「壊すことは決まってしまったのですか?」

「ええ。どうしようもないですね。中がどれほどきれいでも建物自体が老朽化しているとなれば」

「そうですか。仕方がないことですね。」

「この部屋の中の家具は素晴らしいものばかりです。持って行かれますか?」

「いいえ。いいんです」

僕はチェストの引き出しをもう一度開けて、赤い鶴を若草色の鶴ともう少しだけ近くに寄り添わせ、見つめた。あなたの折った折鶴の何というきりりとした美しさよ。けれど僕の折ったほんの少し不恰好な若草色の鶴は、今、あなたと共に並んでいる。いや、交わっている。僕は静かに引き出しを閉めた。

あなたは僕のたったひとりの双子の姉。幼い頃から入院を余儀なくされ、いつも消毒と薬の匂いがしていた。けれどあなたの肌の色は僕よりも健康的で、極めて自然に薄い茶の色をしていた。

ある日、僕が検査を終えたあなたを病室のベッドに横たえた時、あなたはふと僕の肌に触れ、白くてきれいだと僕に伝えた。わたしもそんな色に生まれたかった、と。僕の方こそ、姉さんみたいな色が良かったよ、と返した。ないものねだりだね、と言いながら互いの腕を見せ合った。

「互いが補えばいいんだよ。僕と姉さんは一心同体みたいなものじゃないか。」

そう言うと、あなたはにっこりと華やかに笑った。

「そうね。じゃ、あなたの肌はわたしのものね。」

「そうだよ。姉さんの肌は僕のものだ。」

僕らは笑った。ただそれだけが僕の誇りになった。女のようだ、とクラスメイトにどれほどバカにされようが構うことはなかった。

大人になってから僕は何度、あなたを性的に抱きしめたいと思ったことだろう。そして、何度その腕に抱きしめて欲しいと願ったことだろう。絶対に叶わない、一生のたったひとつの願い。他には何もいらなかった。何も欲しくなかった。あなた以外のものは。あなたがもしも白い肌色を嫌っていたら、僕はすべてを失くしただろう。あなたは僕の肌を称賛する時のように、ほんのり色のついた白い部屋で暮らしたがった。優しさだけでできた白いシンプルな部屋。質素と言われるくらいの。あなたの体では病室以外には住める場所がないと承知した上で。しかし遂には看取ることしかできなくなり、退院許可が下りた。あなたの願いを叶えられる時が来た。僕は必死で部屋を用意し、あなたに言われたとおりの家具を揃え、この部屋の内装を作った。ただただ、あなたが来るためだけの部屋を。

そして少し痩せたあなたは、ここにやってきた。

まずはカーテンを見て驚愕の声を上げた。レースの刺繍はあの病室になかったものだと言って、思わずカーテンに口づけた。僕は傍で笑う。次に嬉しそうにチェストに触れ、上に置いてあった馬の頭部のブックエンドを胸に抱きながら、もう一方の手でガラス瓶の蓋を取り、香りを嗅いだ。あいにく何の香水も入っていなかったけれどまるで芳しい花の香りでも堪能したかのようにうっとりと微笑む。思い立って引き出しを開けると、持っていた小さなバッグから自分の持ち物を引き出しに移した。ウィンザーチェアの座り心地も確かめては頷いていた。少し落ち着き、ベッドに座ると、いとおしそうにシーツや枕を撫で、その感触を楽しんでいた。

「好きに使っていいからね、思うがままに。」

あなたは僕に向かって華やかな笑顔を向けた。顔色は体調とは裏腹に相変わらず健康的な色のままだった。

「ありがとう。これほど素敵な部屋をわたし、初めて見たわ。」

黒髪がさらりと顔を隠すように頬に流れた。これほどこの部屋が似合うひとを僕は知らない。まるで、ずっとこの部屋で暮らしてきたかのようだった。白い部屋に色をつけてゆくのはあなたしかいない。そのためにあなたは部屋を欲しがったのだ。命の短さを惜しむよりも、生きている間必要な彩色を施すことをあなたは望んだ。そんな染められる前の部屋で僕たちは恋人のようにお喋りを交わした。

「ねえ、あったかい紅茶が飲みたいな。」

「お湯を沸かしてくるよ。待ってて。」

「うん、待ってる。」

僕は部屋のドアを開けて、紅茶を淹れるためにこの部屋を一旦出た。紅茶をトレイに乗せて戻ってきたとき、あなたは淡く優しい明るさの中で、ベッドに横になり、深い深い眠りについたばかりだった。

紅茶の湯気越しに、夢のようにあなたの最期が映っていた。あなたの唇は紅茶のように柔らかで透明な赤い色を一筋、流していた。触れた頬はまだほんのりと温かいのに、完全に閉じきらない半開きの瞼は人形のようだった。命が尽きてもなお、あなたは美しいひとだった。あなたの持ってきたバッグの上には完成した赤い折鶴があった。僕が紅茶を淹れている間に素早く折ったのだろう。あなたが最初で最期に彩色した素晴らしい赤色だった。

この部屋に来たのはその日以来だ。

あの日の赤い折鶴は僕がチェストの引き出しにしまった。絶対にこの部屋の家具の配置も空気も、何一つ変えてはならない、と、まるで命令のように管理を頼んでいたので、この鶴の存在は誰にも気づかれていない。気づかれていたとしても絶対に触れてはいけないものだった。誰の手にも。木漏れ日そのもののように明るく、美しかったあなた。僕はこれからもきっとあなたのことを時折夢見るだろう。

「今までどうもありがとうございました。」

「こちらこそ。お体にお気をつけて。」

たったひとりの姉を亡くした弟。そんな図式で、管理人はひたすら僕を気の毒がっていた。僕はその姿に、精一杯気丈に振る舞う健気な弟という社交辞令の態度を取った。もちろん多大な感謝は本心である。しかし本当の想いは誰にも知られたくなかった。僕は白い部屋に一瞥をくれて、ドアを開け、そっと閉じた。僕はこの部屋が大きな棺として燃えることを想像した。火の元は赤いあなたの鶴。若草色の僕の鶴を道連れに、一瞬で、けれどふたりのまま燃え始める。瞼を閉じると、火に包まれた二羽の鶴がその羽を伸ばし、寄り添う姿が映る。病室で見比べたあなたの腕は僕の肩に乗せられ、僕の腕はあなたの背中に回る。あなたは、ゆっくりと僕に恍惚を感じさせてくれる。生と死はふたりをますます近づける。あなたと僕はもう自由なのだからこれからはずっと一緒に心の中で色を染めていく。

Fin

2012.03.24

◆あとがき

大澤(大沢)誉志幸さんのアルバム「Serious Barbarian I」に収録されている短くて美しいバラードがテーマとなっております。曲のタイトルは「Little Wing」です。小説以外の言葉を書くのは控えましょう……。

『Little Wing』 大沢(大澤)誉志幸

夢を見てたんだ 君の夢を

青い夜明けに 眠る君を

風の吹く地平線 君があらわれ

僕の手に 君のホホ

のせてくれた

君のせせらぎ きいていたんだ

風が止まった 時の中で

いつか 僕が小さな羽になる時

このせせらぎ 流れ

君のもとへ

Lyric 尾上文

Music 大沢誉志幸 / 小滝満

From Album 『Serious Barbarian』1989年

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